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《命日》“K-1の大スターで功労者”アンディ・フグが遺した“礼節、誇り、気高さ”「彼のかかと落としは、まさにフォトジェニックだった」 

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長尾迪

長尾迪Susumu Nagao

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photograph bySusumu Nagao

posted2021/08/24 11:02

《命日》“K-1の大スターで功労者”アンディ・フグが遺した“礼節、誇り、気高さ”「彼のかかと落としは、まさにフォトジェニックだった」<Number Web> photograph by Susumu Nagao

K-1GP1996にて優勝を飾ったアンディ・フグ

ランニングで他の選手に追い抜かれると…

 アンディの沖縄合宿を取材したときのこともよく覚えている。早朝からゴルフコースを走るのだが、負けず嫌いの彼は、他の選手に抜かれるとむきになって抜き返していた。合宿所はホテルではなく、アパートで練習生と寝食を共にしていた。「ホテルには泊まらないのか?」と尋ねると「ここには強くなるために来ている。他の選手がいたほうが刺激になるし、練習方法を学ぶこともできる。どうせ寝るだけだから、ホテルよりもここの方がいい」と、ごく当たり前のように答えた。

 生前のアンディと最後に会ったのは、2000年7月。名古屋でK-1の大会があり、試合が終わったあとの名古屋駅。東京へもどる新幹線の切符を買い終わったアンディが、列の後ろに並んでいる私に気が付き、近づいてきた。私の手を握るといつもと同じ強烈な握手だった。痛がる私をみて微笑みながら、日本語で「マタ、アイマショウ」と言った……。

まさに「青い目のサムライ」だった

 日本で活躍している外国人を「青い目のサムライ」と形容することがある。私が思うに、アンディは日本人以上に日本人らしかった。礼節、誇り、気高さ、彼が遺したものは、日本人としての精神だったのではないだろうか。打たれても、打たれても立ち上がり、諦めることなく、相手に向かってゆく。その姿に私たちは涙し、自分自身を投影した。入場するときにガウンではなく、空手着で入場したのも、自分はファイターではなく、空手家であり、武道家であるという矜持を持っていたからこそ。

 いまの選手は、短い時間で身体を大きくし、強くなるトレーニングが確立されている。指導者も最短ルートで、強い選手を育てる傾向がある。しかしながら、アンディは泥臭く、地道な鍛錬と努力を重ねて、根性と押忍の精神で、トップに登りつめた。そして、時代と業界を背負って生きていたのだ。だからこそ、美しくてカッコよかった。

 葬儀の日は、炎天下にも関わらず、1万人以上のファンや関係者が列席した。

 あの夏、いちばん暑くて哀しい日からもう21年。

 アンディ、あなたのことは一生忘れません。これからも天国で、日本の格闘技界を見守ってください。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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