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「眼が違う」大迫傑がずっと考えていた“陸上界のこと”…Twitterでのマラソン挑戦表明も、ラストレース発言も“異質”だった 

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小野晋太郎

小野晋太郎Shintaro Ono

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photograph byTakeshi Nishimoto/AFLO

posted2021/08/18 17:02

「眼が違う」大迫傑がずっと考えていた“陸上界のこと”…Twitterでのマラソン挑戦表明も、ラストレース発言も“異質”だった<Number Web> photograph by Takeshi Nishimoto/AFLO

自らラストレースと位置づけた東京五輪。結果は6位入賞。大迫傑が見せてきた背中は次世代へのヒントになる

 大学三大駅伝デビューとなる出雲駅伝。故障明けで思ったように走れず、区間3位。レース後を追うカメラを振り切って座り込み、号泣した。早稲田は優勝したが、集合写真でも1人そっぽを向いた。

 10000mで目指したロンドン五輪。選考会で佐藤悠基に0.38秒差で敗れ、五輪出場を逃すと、地面をたたいて叫び、悔しがった。

 クールな大迫の感情が爆発するのは、勝った時ではなく、むしろ負けた時だった。その姿がより大迫という選手の魅力を引き立たせていた。

 20代になった大迫は、メディアに見せる部分をコントロールするようになっていく。だが、感情の高ぶりは競技そのもので表現し、人々を惹き込める選手に成長していた。その頃、「悔しさ」について、こう語っていた。

「負けるから悔しいのではなくて、自分の思う、思ったとおりの走りが出来なかったから悔しいというか。なんでこんなに走れないんだろうなと思うだけであって、負けたからっていう気持ちではないんです」

 誰かに負けても、いつも根っこのライバルは自分だった。

マラソン挑戦はTwitterで発表

 まっすぐ自身の目標だけを追う大迫が明らかに変わったことが2つある。

 1つはマラソン挑戦。いつかは走ると公言してきたが、明確な時期は明らかにせず、あくまでトラックでの勝負にこだわった。

 五輪初出場となったリオ大会、10000mを走り終えた直後のミックスゾーン。記者たちは、その答えを聞き出そうと躍起になっていた。

「次は東京でマラソンを……」

 大迫はそんな記者たちを前に明言を避けた。人が答えさせようとする質問には答えないのが大迫だった。結局、発表は突然、ツイッターで。

『大迫、ボストンマラソン走るってよ。』

 大迫との初めての食事は所沢の居酒屋だった。彼はまだ20歳だったが、常々、陸上競技全体がもっと注目されることを望んでいた。

「箱根駅伝しか注目されないのは何でですか?」
「ただ見られるだけでなくて、カッコ良いと思われるものにしたい」

 現状の分析だけでなく、一歩先まで想像した。今回の東京五輪約1週間前での“ラストレース発言”もそう。常に関係者やファンに新鮮な驚きを与え、楽しませ、刺激を与え続けてくれる稀有なアスリートだった。

【次ページ】 「次は後輩たちの番」

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