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“韓国の握手拒否騒動”をかばったNZの苦労人エースは“侮れない日本キラー” 4年連続プレミア2ケタ得点の決定力〈五輪サッカー〉
text by
三重野翔大Shodai Mieno
photograph byTakuya Sugiyama
posted2021/07/31 06:01
2017年親善試合のクリス・ウッドvs吉田麻也。再び彼にゴールを許してはならない
レスターではバーディーらに弾き出され
WBAはウッドのデビューシーズンでチャンピオンシップ(2部)に降格。自身も翌2009-10シーズンは2部で18試合1ゴールと伸び悩むと、その後2年3カ月の間で5クラブにローン移籍をさせられるなど、クラブから雑な扱いを受けるのだった。
そして5クラブで計34ゴールを挙げ、苦しい境遇の中でも最低限の結果を残したウッドを、非情にもWBAは余剰戦力とみなし当時2部のレスターに売却した。
12-13シーズン途中に加入した新天地では残りの半シーズンで24試合11ゴール。2年目にはチームの1部昇格に貢献した。しかしプレミアリーグではジェイミー・バーディーやレオナルド・ウジョアを前にレギュラーを確保することができず。 競争に敗れたウッドはシーズン終了後にチームを去るのだが、レスターが後世に語り継がれる奇跡を起こしたのはこの1年後のことである。
リーズ加入後、キャリアはV字回復
2015年7月。当時2部のリーズに加入したことを機に、ウッドのキャリアはV字回復を迎える。
加入初年度はチームの監督交代、個人としては負傷で戦列を離れる時期があったにもかかわらず、チームトップの公式戦13ゴールをマーク。序盤で下位に低迷したクラブはなんとか持ちこたえ、リーグ13位でフィニッシュした。
そして翌16-17シーズン。ギャリー・モンク新監督のもと覚醒したウッドはリーグ戦44試合出場で27ゴール4アシストを記録し、チャンピオンシップの得点王を獲得した。リーズは終盤の大失速で昇格プレーオフ出場を逃したが、クラブの年間最優秀選手に選ばれたウッドの活躍はプレミアリーグの目に留まることになる。
2017年8月、リーズが慰留を試みる中、バーンリーに移籍。バーンリー側から度重なる獲得オファーがあったとされ、非公開の移籍金は当時のクラブレコードを更新しているとも報じられた。
バーンリーでのウッドはまさに水を得た魚である。キック&ラッシュというモダンなスタイルが最も適応しやすい戦術だったことは間違いない。ここ数年で最近のトレンドに合わせてより流動的に、ポゼッションも重視するようにはなっているが、根底にあるタフネスが一貫してブレない戦い方はまさにショーン・ダイシ監督ならではといえる。
加えてウッド自身もただフィジカルの強さに長けた選手というわけではない。恩師のウィルキンソンはウッドの強みをこう分析する。