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帝京サッカー“11年ぶりの全国”へ…同校優勝を経験したOB監督が進める改革、1つだけ変えなかった“伝統”とは? 

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安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

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posted2021/08/10 06:00

帝京サッカー“11年ぶりの全国”へ…同校優勝を経験したOB監督が進める改革、1つだけ変えなかった“伝統”とは?<Number Web> photograph by Takahito Ando

2015年から監督として帝京サッカー部を率いる日比威氏。四中工と同校優勝した世代ではキャプテンを務めた

「いくら立派な豪邸でも築年数が古ければ、あちこちにダメージが来るものですよね。そのダメージを気づかずに放っておいたら、どんなに豪邸だって崩れてしまう。メンテナンスをするだけでなく、リノベーションをしながら、強度を高めていくことが大事。それこそが、指導者陣のサッカーの勉強であり、人材育成であり、組織づくりだったんです」

 日比は「それにね」と続ける。

「今、帝京という豪邸の周りには、鉄筋コンクリートで耐震構造がしっかりした新しい建物がどんどん建っています。前橋育英、昌平、矢板中央、桐光学園、流通経済大柏、山梨学院。都内を見れば、駒澤大、関東第一、成立学園、実践学園、國學院久我山。彼らは自分たちのサッカースタイルという地盤を作った上で、チームを構築してきたからこそ、今の躍進がある。その事実も受け入れてやっていかないといけません」

 帝京の現状を知ってもらおうとする日比の小さな積み重ねが、徐々に名門校を取り巻く環境を変えていく。

悲願のプリンスリーグ昇格

 就任2年目の翌年、推薦枠で声をかけた20人のうち、帝京の門を叩いたのは13人。その中には23年シーズンからヴァンフォーレ甲府入りが決まっているDF三浦颯太(日体大3年)、大学王者・明治大で活躍するFW赤井シャロッド裕貴らがいた。彼らは高3時にT1リーグ(東京都リーグ1部)を制し、さらにはプリンスリーグ参入戦も突破し、悲願のプリンスリーグ関東初昇格を手にした、いわば現在の礎を築いた世代とも言える。

 ユース年代強化を目的としたプリンスリーグが発足したのは03年(11年に再編)。その下に位置するT1リーグで戦い続けた帝京にとって、プリンスリーグ昇格は最低限の目標だった。

「近年はインターハイや選手権の成績だけでなく、どのリーグに所属しているのかも、進路選択をする中学生は重要視するもの。(中学生が練習試合する)今の1年生チームのレベルも上がって来たし、時にはうちのトップチームとも試合することもあるので、僕らのサッカーを肌で感じてもらう機会は増えました。中学生たちが『帝京』に向ける目の色が少しずつ変わってきていて、いいサイクルができつつあると思っています」

 現在の帝京の特徴の1つとして、2年生のレギュラーが多いことが挙げられる。すでにJリーグのスカウトから注目される逸材も多く、今後は全国の舞台でもお目にかかることもできるだろう。

 中でも181cmの大型左サイドバックの入江羚介(りょうすけ/2年)はU-16日本代表候補にも選出される逸材だ。FC東京U-15むさしでプレーしていた入江は、U-18に昇格することができず、いくつかの強豪校の中から帝京を選んだ。

「帝京という存在は知っていましたが、イメージはTVでとんねるずさんがよく言っていた『帝京魂』くらい。サッカーもロングボールで仕掛けてパワーで押し込む印象がありました。でも中3の時に帝京のトップチームと練習試合をして、三浦さんや赤井さんがいるチームにパスをバンバン回されて、完全に崩された形でボロ負けをしたんです。その衝撃が大きかった」

 先入観が壊され「ここなら成長できる」と確信を持ったという。

 2年生ながら10番を託されるFW伊藤聡太もまた、東京ヴェルディジュニアユースからユースへ昇格できなかった。

「帝京といえば田中達也さん、中田浩二さんの世代の試合は見ていたので、フィジカルが強い選手、スピードがある選手でないの入れないと思っていたんです。でも、練習に参加して、しっかりと足元で繋ぐサッカーをするし、全員の技術も高く、ここなら自分にあったサッカーができると感じました。施設も整っているし、成長できる環境だと思って決めました」

【次ページ】 改革の中で日比が譲れなかったもの

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