令和の野球探訪BACK NUMBER
8.22甲子園決勝の舞台にたどり着くのは? 女子高校野球誕生から24年、現役選手や監督たちの「驚き」と「喜び」
text by
高木遊Yu Takagi
photograph byYu Takagi
posted2021/07/25 06:00
春の選抜大会で準優勝した履正社高校の主将・花本穂乃佳(3年外野手)。史上最多の参加となる40校の中から甲子園の舞台を目指す
驚いたのは選手だけではない。女子日本代表の前監督でもある橘田監督は、「すごい時代が来たなと思いました。生きている中でそんな話が進むとは思っていませんでした」と率直な思いを語る。
1983年生まれで兵庫県三木市出身の橘田は、当時神戸に数チームあった少女野球チームで競技を始めた。しかし、中学以降は男子に混ざってのプレーを続け、仙台大でも唯一の女子選手として活躍。新人戦では安打も放った。その後はオーストラリアの女子リーグでプレーし、全豪大会でMVPを獲得するなど輝かしいキャリアを歩み、現役引退後は指導者として自身の経験を次世代へ伝えている。
監督業を「まさか仕事になるとは思っていませんでした。好きでやってきただけですから」と謙遜するが、履正社医療スポーツ専門学校(履正社RECTOVENUS)、履正社高校を全国優勝に導き、2018年のW杯では代表監督として日本を6連覇に導くなど手腕を発揮してきた。
今回の甲子園開催にあたっては「踏み出して、今まで積み重ねてきた先輩方のご尽力のおかげだと思っています」と感謝の思いが最も強いと言う。
女子硬式野球部の誕生は1997年
そもそも、日本の高校で女子硬式野球部が初めて誕生したのは1997年。神村学園高校の初代理事長・神村勲があるスポーツ紙の『1998年に女子の甲子園開催へ』という記事を見たことを契機に創部。だが、そこから今回の甲子園開催が実現されるまでは20年以上の時間を要した。
創部時から神村学園を指導する橋本徳二監督も、驚きを感じている。
「当時から素直で真っ直ぐに取り組む選手ばかりでした。もう甲子園ではやれないと思う時期もありましたから、こんなに早く開催できるとは思いませんでした」