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夫は「成績が落ちたらお前のせいになる」と言われ…23歳“全盛期”に電撃引退→結婚の女子陸上・寺田明日香が8年後に「母で五輪出場」までの波乱万丈
posted2024/11/22 11:01
text by
荘司結有Yu Shoji
photograph by
(L)Yuki Suenaga、(R)JMPA
ここ数年、好記録ラッシュが続く女子スプリントハードル種目。パリ五輪代表の福部真子(日本建設工業)、田中佑美(富士通)をはじめ12秒台ハードラーが続出している。
日本で初めて13秒の壁を破った寺田明日香(ジャパンクリエイト)は、彼女たちの“姉貴”的な存在だ。
北海道に生まれた寺田は、10代の頃から将来を期待された選手だった。恵庭北高でハードルを始め、インターハイ100mハードルで史上2人目の3連覇を達成。卒業後は福島千里、北風沙織らが所属していた「北海道ハイテクAC」に入り、日本選手権を同種目最年少で制している。
将来を嘱望される選手と連盟職員としての出会い
一方、夫の佐藤さんは進学校として名高い開成高を卒業後、早大第一文学部に入学。大学院でスポーツビジネスを学び、日本陸上競技連盟に職員として採用された。
寺田が佐藤さんに出会ったのは19歳のとき。長野である陸上イベントに参加する際、佐藤さんがスタッフとして同行したのがきっかけだった。
当時、佐藤さんは陸連としては十数年ぶりの新卒採用の職員。必然的に、同年代や若い選手たちのマネージャー的存在になっていたという。
「お世話してくれる、いいお兄さん」「誰に対しても明るい子」当初の互いの印象は、その程度だった。
佐藤さんはその後、寺田と連絡を取り合うようになったいきさつを鮮明に覚えているという。
出会って半年後、2010年6月下旬にあった布勢スプリント。ハイテクACからは福島、北風、寺田がエントリー。佐藤さんもプライベートで現地に向かっていた。
「福島の誕生日が近かったんですよね。夜行バスの車内で『やべ、何か渡さなきゃ』って気づいて。途中のサービスエリアで3人分のお土産を買ったんです。1人だけにあげたらヤキモチ焼いちゃうかなって(笑)」(佐藤さん)
「焼かないよ!」(寺田)