Jをめぐる冒険BACK NUMBER
“J3が主戦場、五輪代表も控えGK続き”だった谷晃生が正守護神になるまで 川口能活コーチも認める「強み」でメキシコを止めるか
posted2021/07/24 17:03
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph by
Kaoru Watanabe/JMPA
圧倒的に攻めているゲームは守備陣、特にGKにとって厄介なものだ。ボールに触る機会がほとんどなければ、リズムを掴むのも難しい。
それでいて、たまに訪れるプレー機会はカウンターの場面――すなわち、敵陣にあったはずのボールが数秒後に目の前に飛んでくるわけだ。
集中力を切らさず、リスクマネジメントをどれだけ高いレベルで維持できるか――。
東京五輪のグループステージ初戦、南アフリカとの一戦でそうした難しい状況に置かれながら、GK谷晃生は完封勝利に貢献した。
相手のシュートはわずか4本。そのうち枠内に飛んできたのは77分の1本のみだったが、そのピンチでもしっかりポジションを取り、コースの正面に入ってセーブした。
「相手は前線に1枚残していた。スピードもあるので、こちらも2対1の数的優位の状況を作って、相手の攻撃を早く摘む。そこを意識してコーチングしていました。相手もワンチャンスは作ってくるだろうと警戒しながらプレーしていました」
2006年ドイツ・ワールドカップでイタリア代表のジャンルイジ・ブッフォンに憧れたという青年は、安堵を滲ませながら落ち着いて振り返った。
東京五輪世代の正GK争いは紆余曲折があった
GKは経験を要するポジションだけに、20代前半で所属チームの正GKの座を射止めるのは簡単なことではない。そのため、過去のオリンピックではオーバーエイジを採用した4大会のうち、シドニーとアテネの2大会で楢﨑正剛、曽ヶ端準と年長者が招集された。
だが、今回はこの経験を要するポジションに、オーバーエイジを必要としなかった。谷(20歳/湘南ベルマーレ)、大迫敬介(21歳/サンフレッチェ広島)、鈴木彩艶(18歳/浦和レッズ)といずれもJリーグで経験を積んでいるからだ。
もっとも、ここに至るまでには紆余曲折があった。
東京五輪代表チームが立ち上げられたのは、17年12月のことである。タイで行われたM-150カップに谷と大迫は選出されている。ただし、初戦に出場した大迫に対し、谷の出場機会はゼロだった。
当時、この年代のGKは誰も所属するJクラブで出場機会を得られていなかった。そのため、大学生だった小島亨介(当時早稲田大、現アルビレックス新潟)、オビ・パウエル・オビンナ(当時流通経済大、現栃木SC)らがゴールを守ることが多かった。
そうした流れが大きく変わるのが、本大会を翌年に控えた2019年だった。