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「慣れないことをやらせないこと…」金を目指す稲葉ジャパンの“2つの不安要素”とは? G.G.佐藤“2度の落球”と岩瀬の“乱調”に学ぶ〈北京の教訓〉
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph byAFLO
posted2021/07/26 17:03
北京五輪では“2度”落球したG.G.佐藤。東京五輪にも生かせる“教訓”とは?
プロ・アマ混成のシドニー(2000年)、オールプロながら1球団2人の制約があったアテネ(2004年)に続く北京(2008年)では、初のドリームチームが編成された。率いたのは星野仙一。会見では「金メダルしかいらない」とまで口にした。ところが予選リーグで3敗。かろうじて進んだ決勝トーナメントでも、準決勝(韓国)、3位決定戦(アメリカ)と連敗し、メダルなしの屈辱を味わった。
なぜG.G.佐藤は“2度も”落球したのか?
よく言われる敗因はG.G.佐藤(埼玉西武)の2度にわたる落球と、岩瀬仁紀(中日)の乱調である。どちらも「まさか」。それは周囲からは想像もつかない「小さな石」につまずいて起こっている。佐藤とは同学年で、高校時代(桐蔭学園と東海大相模)から顔見知りだった元中日の森野将彦さんが、こんな思い出話をしていた。
「宿舎からの外出は禁じられていたんですが、ホテル内にバーがあって、自然とお酒好きが集まっていたんです。最初の落球の夜は、僕が誘いました。『終わったことは仕方ない。とにかく、何があっても最後までやりきろうや』って声をかけたのを覚えています。でも2度目は……。もう、何も言えなかったですよね」
何で落としたんだ? 日本中がそう思ったが、佐藤にとっての「小さな石」はレフトという守備位置だった。このシーズン、佐藤は西武では99試合、すべてライトを守っている。守備率.994。平凡なフライを落とすような外野手ではなかった。ところが、ライトとレフト。たったそれだけの違いが本人にとっては大きな違和感だったのだ。
「イニングまたぎ」が岩瀬の乱調を招いた
このシーズン51試合に投げ、3敗だった岩瀬は、五輪だけで3敗した。しかも防御率11.57。その前年の日本シリーズで、日本一と完全試合継投がかかった1対0の状況で、抑えきったのだ。重圧に弱いことなどあるはずがない。では岩瀬の「小さな石」は何だったのか。それはイニングまたぎだった。当時を知る関係者が代弁した。
「予選リーグのアメリカ戦で延長10回から投げました。見事に3人で抑え、コーチからは交代だと告げられたんです。ところが、ベンチ間で意思疎通がうまくいかなかったからか、11回も続投することになったんです。しかもタイブレーク。心も体も準備が整っていなかったんじゃないでしょうか」