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元バレー日本代表・竹下佳江が語る「オリンピック」24歳で引退を決めたシドニー敗退の戦犯扱い…メディアとの関係性とは?
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byTakao Yamada
posted2021/07/21 11:01
シドニー大会への出場を逃したことで「オリンピック」の大きさを感じたという竹下佳江。その後、3度のオリンピックに出場し、ロンドン五輪でのメダル獲得に貢献した
日本女子バレーが2大会ぶりに出場を果たしたアテネ五輪で、筆者の記憶にもっとも残っているのは、初戦のブラジル戦で、最初のサーバーだった竹下がサーブミスをしたシーンだ。
竹下は、プレーが正確で、本当にミスをしない選手だった。だからその竹下のサーブミスこそが、見る者に「やはりオリンピックは特別なんだな」と感じさせた。
シドニー五輪最終予選でどん底を味わい、一度は引退するまで追い込まれるなど、紆余曲折を経てたどり着いた五輪の舞台だけに、気持ちがたかぶり、尋常ではない緊張もあったのだろうと勝手に想像していた。
しかし、17年前のサーブミスについて竹下に尋ねると、あっけらかんとこう答えた。
「いろんな人に言われるんですけど、覚えてないんですよ。私はミスをしたとは思っていなくて、人に言われて初めて、あーそうだったんだ、と(笑)。別に緊張していたわけではなかったんです。でも改めてそう言われると……周りの選手もきっとそう見えていたのでしょうね。大きなミスは少なかった方でしたから、今、考えると、みんなに変な緊張感を与えたかもしれない。特に若い選手なんて、『どうしよう』って、動揺しますよね。でも当の本人は何も覚えてないという(笑)」
豪快に笑い飛ばす、その姿が意外すぎて驚いた。
セッターは選手をかばわないといけない
現役時代の竹下は、隙がなく完璧な印象で、メディアに対してはピリピリと張り詰めた空気を漂わせていた。取材では基本的にあまり多くを語らなかった。筆者自身、取材する際に一番緊張する選手だった。
メディア嫌いにも映る姿は、シドニー五輪予選で出場権を逃した際に、メディアからバッシングを受けた経験があるからだと認識していた。だがそれだけではなかった。
「やはりセッターは周りの選手をかばわないといけないと考えていたので。メディアを通して私の言葉が他の選手の耳に入ることもありますし、これ以上言ったらこの選手たちにはよくないなと思うと、自分の中でストップしてしまっていました。だから、冷たいと言われたり、もっとこう聞きたかったのにということを答えられなかったり……。
(現役を)離れてみると、もう少し自分にも引き出しがあれば、優しく、もっといいことが言えたかもしれないけど、当時はアスリートとしてあるべき姿でいないといけないと思っていたので、なかなかうまくできないこともありました。ただ、周りの選手は守れた部分もあるのかなと思ってはいます」
自身が批判の矢面に立たされた経験があるからこそ、他の選手に同じ思いをさせたくないという気遣いもあったのだろう。また、特定の選手だけがアイドル的にメディアに取り上げられることにも違和感を感じていた。
「盛り上げてくれる選手は絶対に必要だと思うし、スポットライトが当たる選手というのはあると思うから、そこは任せておけばいいというのもありました。でもやはり純粋にアスリートとして、バレーボールを見て欲しいという思いはありましたね。
ただ、メディアにお願いしないといけないこともあるし、盛り上げてもらわないといけない部分もあって、そこは現役を離れてみてわかることもありました。以前、北島康介さん、野村忠宏さんと対談した時に、メディアをうまく使えなかったのが野村さんと私だという話になりました。私がドーンと言うから、向こうからもドーンと返ってくるということもあったので、損している部分もあったと思うんですよ。それはそれでいい経験だったかなとは思いますけどね(苦笑)」