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元バレー日本代表・竹下佳江が語る「オリンピック」24歳で引退を決めたシドニー敗退の戦犯扱い…メディアとの関係性とは?
posted2021/07/21 11:01
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph by
Takao Yamada
世界最小最強セッターと呼ばれた、元日本代表・竹下佳江(現・姫路ヴィクトリーナ副社長)が引退してから、2度目の五輪がやってくる。
竹下は数多くの国際大会で活躍したが、中でも五輪は“特別“だったと言う。
竹下にもっともそう感じさせたのは、初めて出場した2004年アテネ五輪でも、日本が28年ぶりにメダルを獲得した2012年ロンドン五輪でもない。日本女子が初めて出場権を逃した、2000年シドニー五輪だった。
「バレーには世界選手権、ワールドカップという歴史のある大会がありますけど、やっぱりオリンピックは特別。それをすごく感じさせられたのは、シドニーに行けなかったことが大きかったと思うんです」
オリンピックに出場するかしないか
竹下は22歳だった2000年のシドニー五輪世界最終予選で、初めて日本代表の正セッターに抜擢されたが、日本は6位に終わり、五輪出場権を逃した。
当時は、身長159センチの小柄なセッターを起用したことに批判が集まった。だが、竹下が受けた痛みはそれだけではなかった。今、こう振り返る。
「オリンピックはやはり注目度が他の大会とは違って、出場するかしないかによって、バレー界も大きく変わる。個人はもちろんいろんなことを言われますけど、周りに与える影響も大きくて、いろんなことが動くんだなと感じました。オリンピックに行けなかった時期は、廃部になるチームが多かったですよね」
2001年に、女子の名門チームであった日立やユニチカが相次いで廃部になったことは衝撃的だった。