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GI競走で誘導していたあの人が…JRA職員3人が東京五輪で《総合馬術・馬場馬術》に挑む “会社員”ならではの葛藤を超えて
text by
カジリョウスケRyosuke Kaji
photograph byRyosuke KAJI
posted2021/07/23 11:00
2019年に行われたテストイベントで東京のコースを走る戸本一真
「これを経験せずに馬術人生が終わらなくてよかった」
2018年3月、北原はようやく東京オリンピックに向けてドイツに向かった。北原が師事したのはフィンランド代表のHenri Ruoste、39歳。北原よりも10歳年下だ。ドイツの技術をベースにヨーロッパ各地のトレーニング方法を融合したやり方で馬術に取り組んでいる選手だった。ドイツのクラシカルな方法を学び、実践し、多くの実績を残してきていた北原がまったく新しいやり方を受け入れるのは容易ではなかった。
「彼のやり方に納得するのには時間がかかった。これまで自分がやってきて、自分なりに確証があったものを変えなきゃいけない部分もあった。ポリシーも変えなきゃいけない部分もあった。しかし、それを変えないのであればここにいる意味はない。変える勇気がないと自分は変われない」
会社員として立場や限られた時間があったとはいえ、“本番までの2年間で結果を出す”というのは甘い考えだったと北原は言う。延期になった1年という時を、自分を見つめ直す時間、馬との信頼関係を築く時間に充てた。3年を経た今年になったからこそできるパフォーマンスが出せるようになってきた。
「ここまでやってきても未だ完成してないというのを思い知らされた。試して、失敗して学んでいった。それをやってみた結果、変えてみないと得られないものが確かにあった。これを経験せずに馬術人生が終わらなくてよかった」
「馬事公苑」が果たすべき役割
北原を育てた馬事公苑はすでに過去のものとなってしまった。北原が目指したオリンピックによって新しく生まれ変わったからだ。
「馬事公苑にはもちろん思い入れがあるし、寂しい気持ちはあるよ。でも、それ以上に施設が世界基準に満たない上に古かったので早く新しくなってほしかった。自分たちは次の世代のために良い設備と将来美しく咲く桜の木を残す義務がある。今回、馬事公苑は東京オリンピックがきっかけとなって新しく生まれ変わることができた。今後の日本の馬術界が変わるきっかけになったんじゃないかな」
東京オリンピックが競馬界に残すもの
世界の壁は厚い。彼らがベストのパフォーマンスを発揮してもまだまだ超えられないものは確かにある。だが、「東京オリンピック」という確かな目標があったことにより、世界基準の馬術施設が設けられ、また、世界で学んだ選手たちによって日本の馬術界のレベルは確実に押し上げられる。彼らが世界で得た技術や物事に取り組む姿勢は、今後の日本の馬術のみならず競馬の発展にも繋がっていく。
そして、東京オリンピックが終わったあとには競馬場の誘導にも少し目を向けてみてほしい。オリンピアンが優駿達を誘導している姿が見られるというのも、今後の日本競馬の一つの財産になっていくだろう。