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日本柔道史に残る“24分間の死闘” 涙の敗者・丸山城志郎27歳が語った「東京五輪を失って、世界一を獲った半年間」
posted2021/07/20 17:04
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph by
AFLO
昨年12月、日本柔道史に残る激闘の末に代表権を勝ち取った姿が印象深いが、その試合で敗れたライバルの丸山城志郎(27歳)が今年6月にハンガリーで開催された世界選手権を制した。
強さとは何か、柔道家にとってのオリンピックとは何か、を問いかけるような勝利の内実に迫った。
何かがおかしい……。
丸山城志郎は相手と組み合った瞬間に違和感を覚えた。ハンガリーの首都ブダペストのアリーナでのことだった。
会場にはトップ選手たちが集い、世界選手権特有の雰囲気があった。丸山は前回大会の王者として臨んでいたが、とても大舞台を戦う状態ではないように思えた。
「全然、自分本来の動きではなかったんです。ふわふわした感じというか……。技を受けても、技に入っても身体感覚がブレてしまって、すべてが噛み合っていない状態でした」
余力を持って勝てるはずの初戦の2回戦、3回戦も苦労した。何とか伝家の宝刀である内股が決まったが、試合を重ねても感覚は戻ってこなかった。振り返ってみれば国際大会はもちろん、トーナメント形式を戦うのも1年半ぶりのことだった。いつもの自分でないことは明らかだった。
準々決勝の相手はモンゴルの選手だった。同国の選手はモンゴル相撲出身者が多く、変則的な戦い方をしてくる。身体を密着させ、抱え込むように投げを打ってくる。ただでさえ予測のつかない曲者だというのに、丸山の状態は理想からはほど遠かった。
これまでなら実力を発揮できないまま敗れてもおかしくなかった。ただ、この日の丸山は現実をそっくりそのまま受け入れた。その上で勝利の道を探した。
「普段なら投げられる相手も投げられない。どうしていいかわからない状態でしたが、そのこと自体を受け入れました。最悪の自分を受け入れた上で勝負にこだわる、勝ちに徹するんだと、自分に言い聞かせたんです」
予想通り、モンゴルの選手は難敵だった。得意の内股は警戒され、襟をつかませてもらえなかった。ままならない戦いの中で丸山は指導を誘いながら、じっと相手の圧力に耐えた。ゴールデンスコアにもつれ込んだ末に指導の差で泥臭く勝った。美しい柔道をモットーにしてきた男が見せた新たな一面だった。
そして、丸山に明らかな変化をもたらしたのは紛れもなく、半年前のあの試合だった――。
「あの24分間の死闘」勝者も敗者も泣いていた
丸山が人生最大の喪失を味わったのは、2020年12月13日のことだった。