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日本柔道史に残る“24分間の死闘” 涙の敗者・丸山城志郎27歳が語った「東京五輪を失って、世界一を獲った半年間」 

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鈴木忠平

鈴木忠平Tadahira Suzuki

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photograph byAFLO

posted2021/07/20 17:04

日本柔道史に残る“24分間の死闘” 涙の敗者・丸山城志郎27歳が語った「東京五輪を失って、世界一を獲った半年間」<Number Web> photograph by AFLO

昨年12月13日の東京オリンピック代表決定戦。阿部一二三(右)に敗れた丸山城志郎

 丸山は決勝戦に進んでいた。相手は世界ランキング1位のマヌエル・ロンバルド。イタリア柔道界の切り札と言われ、東京オリンピックでは阿部の最大のライバルと目されている男だった。

「彼と戦うのは2度目だったんですけど、前回よりも柔道が丁寧で安定感が出てきている印象がありました。自分も彼のスタイルはすべて頭に入れていたので、得意な形にさせないように、逆に組んだら躊躇せずに技に入ることだけを考えてました」

 相手を知り現実の自分を知り、したたかに戦った。

 開始から2分30秒過ぎ、内股から巴投げという流れるような連続技で技ありを奪った。優勝を決めるにふさわしい切れ味だった。

 勝者として一礼を終えると、丸山はロンバルドに歩み寄った。

「僕はオリンピックに出られませんが、彼はイタリアの代表として東京に行くわけですから、頑張ってくれと言いました」

 五輪の舞台に立つすべての選手にそう言えるような、透き通った心持ちだった。あの失意のワンマッチから176日後の境地だった。

『丸山がいたから阿部は優勝できたんだ』

 柔道人生を絶たれてもおかしくないような敗北から再出発までのあいだ、丸山の胸にはある人物の言葉が響いていたという。

 東京で五輪連覇を期待され、あの代表決定戦では丸山のセコンドを務めた73kg級の大野将平である。

「東京オリンピックの代表決定戦が終わった後に、大野先輩と食事をしたんです。そのとき、お前は世界選手権で優勝しなさい。阿部選手がオリンピックで金メダルを取っても、丸山がいたから阿部は優勝できたんだと言われるような存在になりなさいと、そういう言葉をもらったんです。自分も深く納得しました」

 その台詞もまた、丸山を立ち上がらせたものだった。

「負けたから腐っていく。そういう自分を想像したときにすごく嫌だったんです。シンプルに腐りたくなかったんです」

 敗北と向き合った理由を自分の胸の中に探して、丸山はそう言った。

 やはり彼には美学がある。その美しい柔道に、これから強さを重ねようとしている。

 東京オリンピックが始まる。まもなく真夏の日本武道館で幕が開くのは丸山城志郎のいないオリンピックである。思い焦がれながら届かなかった舞台である。

 目を背けたくなるかもしれない。たとえ見なくても、誰からも責められることはないはずだ。

 それでも丸山は、自分のいないオリンピックと向き合うような気がする。人生最大の敗北を直視し、再び歩き出した者の強さとは、おそらくそういうものだ。

Number1031号では、池江璃花子×羽生結弦のスペシャルロング対談や、内村航平、阿部一二三、桃田賢斗、張本智和、萩野公介、吉田麻也、石川祐希、平野歩夢といった今大会のアスリートたちに関するインタビューやノンフィクション、東京五輪19日間の見どころを解説する「日替わり名勝負観戦ガイド」なども掲載。ぜひご覧ください。   

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