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女優・大林素子に聞く“芸能界のオリンピックは?”「私はまだ市民大会にも出られていないくらいの実感ですね」
posted2021/07/14 11:05
text by
河崎環Tamaki Kawasaki
photograph by
Shigeki Yamamoto
日立の名将・山田重雄監督に見出され、高校在学中に全日本代表に選出、やがて3度の五輪に出場するエースアタッカーに――。大林素子は日本中にその存在を知られ、子どもの頃に高身長を理由として受けた凄絶ないじめへの「復讐」は、遂げられたかのように見えた。
だが引退後の大林は、豊富な五輪出場経験のあるベテラン女性アスリートとして築いたキャリアを塗り替えるようにして、タレントや歌手、ドラマや舞台女優など、スポーツ以外の幅広いジャンルへ表現の場を広げていく。一流アスリートとしての名声に安住せずに、ひたすら挑戦を続けるのはなぜか?
マルチな活躍で唯一無二の立ち位置を築く彼女に、バレーボール引退後の25年間を聞いた(全3回の3回目/#1、#2から続く)。
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「自分の人生にたられば(後悔)はない」と言い切る大林だが、「でも唯一あるなら結婚出産ですね」と視線を落とした。「今思うと、です。でも結婚も出産も、いま結婚したらこれまでのキャリアがもったいないよね、とか、いま子どもを産んだら仕事できないから困る、みたいな時代でしたから」。大林と同世代の女性の中には、大林と同じ選択をし、いまその人生と向き合って暮らす人も少なくない。
だが、世間は気づいているのだろうか。日本のスーパーエース・大林が97年に引退してからは、ほぼ25年になるということを。
「葛藤はもうずっと、引退した日からありました」
アスリートには「引退」がある。だから「第2の人生」という言葉がある。だが大林は25年の間に、第2の人生どころか第3の人生へと進んでいると話す。「バレーボールをやめて10年間ぐらいは、引退アスリートとしての王道、スポーツキャスターという分野で、贅沢なくらい大きな番組を担当させてもらったり、色んなことを一通りやらせていただきました。休みなんて1日もなくて、本当に文句なしの最高の環境だったとは思います」。
あの頃の視聴者は皆、テレビ画面で求められた役割をこなす彼女の器用さを、印象深く受け止めていたはずだ。それなのに、大林は自分の“第2の人生”であるスポーツキャスターとしての時代に満足してはいないようだった。
「キャスターやっているその場は感動して楽しいし、伝える素晴らしさも学びました。でも、私が小学校の時に思い描いていた夢は歌やお芝居。その葛藤はもうずっと、引退した日からありました。もちろん、キャスター時代の話術とかインタビューの取り組み方とかは、39歳からの“第3の人生”で私の引き出しとなって確実に生かされてる。自分の力にもなっていますよ」