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勝てるのが「すごく怖かった」…あの時、JTに何が起こっていた? 名将パルシンの「トータルディフェンス」と幻のシンクロ攻撃

posted2021/05/26 11:01

 
勝てるのが「すごく怖かった」…あの時、JTに何が起こっていた? 名将パルシンの「トータルディフェンス」と幻のシンクロ攻撃<Number Web> photograph by Takao Yamada

1999年から2006年までJTの指揮官を務めたパルシン・ゲンナジー監督

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市川忍

市川忍Shinobu Ichikawa

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Takao Yamada

 昨年9月、本サイトのバレーボールPRESSにて、漫画『ハイキュー!!』とバレーボールの用語についての記事を執筆した(『ハイキュー!!』のおかげで浸透中? バラバラなバレー用語に一石を投じた名将の存在/2020年9月配信)。その際、取材に協力してくれたトヨタ車体・印東玄弥監督がこんなことを語っていた。

「(アリー・)セリンジャー監督の通訳を担当していた人は英語も日本語も堪能で、その上、バレーボールの知識も豊富でした。それは戦術を表す用語を理解する上で、とても幸運だったと思います」

 バレーボールの戦術やプレーに詳しい通訳担当のおかげもあって、用語の意味や説明が正確に伝わり、理解することができたと振り返った。続いて、取材後の雑談の中でこうも語っていた。

「中国は中国語の用語を使って女子代表が世界1位になりました。ブラジル代表はポルトガル語で世界のトップに立ちました。私はセリンジャー監督によってバレーボールに関わる物事に名前があることを知りましたが、英語の用語がすべてではありません。『バレーペディア改訂版』はセリンジャー監督の著書『セリンジャーのパワーバレーボール』を参考に執筆されていますから当然、セリンジャー監督の使った用語が中心となりますが、同じように中国には中国の、ヨーロッパにはヨーロッパの用語があるのではないかと考えています」

 各国、独自の文化の中で戦術、戦略を表す用語が育まれてきたのではないかという印東監督の言葉に、ふと、では日本の男子チームが最初に他国の文化に触れた際には、どのような用語を使用したのか、そしてそれはどう浸透していったのかという疑問が生まれた。

ソ連を世界王者に導いた名将

 まず、日本のVリーグ男子チームが初めて外国籍監督を起用したのは1994年の東レ・アローズで、中国国籍の汪嘉偉が選手兼任で監督を務め、翌年は監督専任となり計2シーズン、チームを率いている。

 そして1999年、JTサンダーズ(現・JTサンダーズ広島)がラトビア出身で、元ソ連(現ロシア)で代表監督を務めた名将、パルシン・ゲンナジー監督を招へいする。日本のVリーグ男子チームで初めてとなる外国籍指揮官との複数年契約である。旧ソ連時代に男子代表チームを世界選手権準優勝(1986年)、ヨーロッパ選手権優勝(1987年)、ソウル五輪銀メダル(1988年)に導いた手腕を買われたのだ。

 1998年にJTに入社し、パルシン監督のもとで指導を受け、当時はチームの得点源として活躍した河野裕輔氏に話を聞くことができた。河野氏は現在、社業に加えてVリーグの解説者やバレーボールの指導者としても活動を続けている。

 まず、気になっていたバレーボール用語について聞いてみると、河野氏は苦笑しながら言った。

【次ページ】 円滑ではなかったコミュニケーション

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