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勝てるのが「すごく怖かった」…あの時、JTに何が起こっていた? 名将パルシンの「トータルディフェンス」と幻のシンクロ攻撃
text by
市川忍Shinobu Ichikawa
photograph byTakao Yamada
posted2021/05/26 11:01
1999年から2006年までJTの指揮官を務めたパルシン・ゲンナジー監督
「監督はロシア語ですから当然、通訳が就いたんですけど、ロシア語が母国語の人で、日本語はあまり得意ではなかった。正確さにはあまり期待できませんでした。パルシン監督が2分間くらい戦術や練習方法について話しても、その訳が一言二言で終わってしまう(苦笑)。そこで仕方なく選手みんながバレーで使う用語を、ロシア語では何と言うか必死で覚えて『この単語はサーブレシーブだから、サーブレシーブについて何か言っているんだな』と察して対応していました。
あとは一緒に来日したコーチが英語を話せたので、彼が英語に訳すときもありましたけど、それも一言一句までは正確に伝わっていなかった気がします」
ロシア語でのバレーボール用語について聞きたかった筆者はスタートからつまずく形となった。
しかし河野氏の話を聞き続けるうちに、JTがパルシン監督就任後、目に見えて強くなり、Vリーグでの順位を着実にあげて行った当時の様子を思い出した。河野氏は語る。
「だから、とにかく監督と選手間のコミュニケーションはあまり円滑ではなかったと思います。でも、試合になったら監督の言う通りにやらないとすごく怒られる。だから監督のやり方を何も考えず、とりあえずやっていました。だってオリンピックで銀メダルを獲ったバレーボールなんて、僕らには未知の世界だったから、疑問を抱かずに、言う通りにやるしかないという感覚でした」
「すごく怖かった」
単語に注意深く耳を傾け、かつ監督のジェスチャーや表情を見て何が求められているのかを考えた。言われるがまま練習を続けるうちに、チームは徐々に変わっていった。
「試合で結果が出るんですよ。すごく怖かったですね」
監督が指示した場所でレシーブの体勢を取れば、相手のスパイクをレシーブできる。しっかりと上がらないまでも、体のどこかにボールが当たり、床には落ちない。その経緯を「怖い」と表現したところに、未知のバレーボールに出会った当時の心境が表れているのではないか。
「そのうち東レや富士という当時の強豪チームにも勝てるようになった。それが何よりの驚きでした」(河野氏)