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【独占】“ワンダーキッド”オーウェンが追悼する名将ウリエ…「ジェラードもキャラガーも同じ気持ちのはず」と言うワケ 

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フィリップ・オクレール

フィリップ・オクレールPhilippe Auclair

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posted2021/05/15 17:02

【独占】“ワンダーキッド”オーウェンが追悼する名将ウリエ…「ジェラードもキャラガーも同じ気持ちのはず」と言うワケ<Number Web> photograph by Getty Images

昨年末に他界したウリエ。オーウェンは彼の下で育った逸材だ

若手が多かったチームに、理想的な指導者が迎えられた

 1998年に彼が監督としてやって来た当時のリバプールは、古い時代から抜け出さないといけない過渡期を迎えてもいたんだよね。

 ある程度ならお酒も当たり前で、食生活も栄養管理が今ほど行き届いていたわけではなかった。(その2年前に)アーセン・ベンゲルがアーセナルの監督になったのをきっかけに、イングランドサッカー界は練習メニューから食事メニューまで変化の必要性に目覚めたわけなんだけど、ジェラールも、リバプールが21世紀に向かって前進するために丁度いいタイミングで就任してくれた。

 若手も多かった当時のチームに、理想的な指導者が迎えられたんだ。ジェラールは体と心の両面で選手のコンディション管理を重視していた。おかげで現役寿命が延びた選手もいたんじゃないかな。

 あるいは、一皮も二皮も剥けたと感謝している選手もいたはずだ。

 僕はジェラール体制のリバプールが始動する前の(1997-98)シーズンにプレミアリーグで得点王になって、フランスでのワールドカップも経験していた。18歳だったけど、すでにトップレベルへの階段を勢いよく駆け上がっていたところだ。それでも、ジェラールには先々のキャリアで役に立つ教えをいろいろと受けた。試合への準備にしても、普段からのプロ意識にしても多くを学んだ。現役生活だけじゃなく、人生そのものについて深く考えるようになったのも、ジェラールに出会ってからだ。

“ファミリー”という感覚は昔も今も

 人としての在り方を大切にする監督だった。

 そんなジェラールの家族も、みんな素敵な人たちだった。奥さんのイザベルや弟さんのセルジのことも知っていた。家族付き合いのできる監督という意味でも、リバプールには打って付けだった。昔も今も"ファミリー"という意識が根底にあるクラブだからね。そうした空気のなかで生まれる集団としての強力な連帯感は、ピッチ上でも凄く意味があった。純粋なチーム力では僕らを上回っていたアーセナルやマン・ユナイテッドとやり合うためにもね!

 当時のリバプールが獲得したトロフィーの数々は、どれもチームスピリットの賜物さ。最高の日々だった。楽しかったよ。そのスピリットを高めてくれたのが、心からサッカーを愛する『フットボール・マン』のジェラールだったわけさ。

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