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両脚疲労骨折から復活…五輪内定・伊藤達彦、“らしくない”レース運びのワケ 「五輪では相澤晃に絶対に負けたくない」
text by
和田悟志Satoshi Wada
photograph byAsami Enomoto
posted2021/05/04 17:04
伊藤達彦は日本選手権10000mを制し五輪代表に内定した。「正直、諦めていた」と語った背景には何があったのか
駒大の田澤廉、鈴木芽吹に先行を許しながら
伊藤といえば、昨年の日本選手権でも見せたように、抜かれてもすぐに抜き返そうとする負けん気の強さが特長だが、この日は慎重にレースを進めていた。常に先頭を窺える位置に着けながらも、決して前に出ようとはせず、大学生の田澤廉、鈴木芽吹(ともに駒大)にも先行を許していた。長期のケガがあったことを知らずとも、もしや本調子ではないのではないか……と思わせた。
だが、そんな心配は不要だった。
「優勝して東京オリンピック内定を決める」
そんな強い決意を持って伊藤はレースに臨んでおり、じっくりと勝機を窺っていたのだ。
男子10000mの五輪参加標準記録を破っている日本人選手は、すでに内定を決めている相澤の他には伊藤しかいない。日本代表選手の選考要項には『第105回日本陸上競技選手権大会(以下「第105回日本選手権」という)3位入賞以上の成績を収めた競技者であって、第105回日本選手権当該種目終了時点までに参加標準記録を満たした競技者』という文言があり、これに則ると、伊藤は3位以内に入れば内定を得られる可能性が高かった。それでも、伊藤は優勝にこだわった。
「だいぶ余裕がありました」
残り700m付近、満を持して伊藤が勝負に出た。
「残り1000mでいこうか、600mでいこうか、悩んでいたのですが、少しペースが落ちた時があったので、そのタイミングで出ました。だいぶ余裕がありました」
地元の観衆の大きな拍手の後押しを受け鮮烈なスパートを炸裂させた伊藤は、田澤と鈴木を一気に置き去りにした。最後は、ペースメーカーをしていたロジャース・シュモ・ケモイ(愛三工業)と競り合うようにしてフィニッシュ。有言実行の日本選手権優勝で五輪内定を勝ち取った。