オリンピックPRESSBACK NUMBER

両脚疲労骨折から復活…五輪内定・伊藤達彦、“らしくない”レース運びのワケ 「五輪では相澤晃に絶対に負けたくない」 

text by

和田悟志

和田悟志Satoshi Wada

PROFILE

photograph byAsami Enomoto

posted2021/05/04 17:04

両脚疲労骨折から復活…五輪内定・伊藤達彦、“らしくない”レース運びのワケ 「五輪では相澤晃に絶対に負けたくない」<Number Web> photograph by Asami Enomoto

伊藤達彦は日本選手権10000mを制し五輪代表に内定した。「正直、諦めていた」と語った背景には何があったのか

はっきりと見えていたはずのオリンピック

 もどかしい日々は続き、結局、まるまる2カ月間走れなかった。

 ようやく走れるようになったのは3月に入ってから。ポイント練習(強度の高い重要な練習)をこなせるようになるまでには、さらに1カ月を要した。はっきりと見えていたはずのオリンピックが、うたかたのようなものに感じたのも無理はないだろう。

 だが、そこから本番までの仕上がりが早かった。

「正直、スタミナもスピードもすごく落ちているかなと思ったんですけど、ポイント練習をやっていくうちに、自分の予想以上に走れるようになりました。2~3週間前からは前回の日本選手権の前とほぼ同じメニューをやっていたんですけど、前回よりも速いタイムでできたので、今回はかなり自信をもって挑むことができました」

驚異の回復を実現させた地道な取り組み

 復帰早々に出場した4月10日の金栗記念選抜陸上では、5000mで13分45秒12とまずまずのタイムで走っている。

 驚異の回復を見せた裏には、もちろん地道な取り組みがあった。全く走れなかった期間は、トレーナーの指導で補強練習に取り組みフィジカル面の強化を図り、プールに通ったり、バイク(自転車)でインターバルトレーニングをしたりして心肺機能の維持に努めた。苦しい時期ではあったが、「ケガをしていた時間も無駄じゃなかったな」と思うことができたという。

 こうして、地元・静岡で開催された5月3日の日本選手権10000mのスタートラインには、堂々と立つことができた。

 しかし、この日の伊藤は“らしくない”レース運びをしているように見えた。

【次ページ】 駒大の田澤廉、鈴木芽吹に先行を許しながら

BACK 1 2 3 4 NEXT
伊藤達彦
相澤晃
東京五輪
オリンピック・パラリンピック

陸上の前後の記事

ページトップ