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プロ野球巨人軍、ららぽーと、IKEAもここで誕生した…じつはスゴい“JR南船橋駅”の歴史「消えた船橋オートレース場は今…」
text by
鼠入昌史Masashi Soiri
photograph byMasashi Soiri
posted2021/05/03 11:02
JR京葉線の南船橋駅。船橋競馬場の最寄り駅のひとつ。船橋競馬場を訪れたが、同時に南船橋駅のスゴい歴史を知ることになった
船橋競馬場駅は1950年に船橋競馬場の開場とともに京成花輪駅を船橋競馬場前駅と改称し、ヘルスセンターが誕生するとセンター競馬場前駅に改称する。ヘルスセンターは1977年限りで閉鎖されてしまったが、それからもしばらくの間はセンター競馬場前駅の名のままで営業を続けていた。現在の船橋競馬場駅に改められたのは1987年のことである。
そしてそれとほぼ同じ時期に南船橋駅が開業した。このとき、すでにヘルスセンターは姿を消している。現在のららぽーとは、ヘルスセンターの跡地に1981年にオープンしたもので、今では全国各地にあるららぽーとの第1号。すなわち南船橋駅は競馬場やオートレース場というよりも、ららぽーとへのアクセス駅としての意味合いが強かったのかもしれない。
さらに、この地にはもうひとつの巨大施設があった。南船橋駅の少し南側、現在のIKEAのあたりに、1993年から2002年まで屋内スキー場の「ららぽーとスキードームSSAWS」があったのだ。このころのことは、記憶に残っている人も多いかもしれない。通称ザウス、スキーブーム全盛期に誕生した、首都圏随一の屋内スキー場である。つまり、IKEAはこのスキー場が消えた跡地にやってきたというわけだ。ちなみに、ららぽーとと同じくIKEAにとっても南船橋が1号店である。
おやっ?「読売巨人軍発祥の地」とは?
そうして南船橋駅に戻って帰宅前に気分転換を、というわけで駅前の空き地からそれまで歩いていなかった東側に向けて少し散歩をした。5分ほど京葉線の高架沿いを歩いて線路と高速道路をくぐると、右手に大きな池のようなものが見える。これはいわゆる谷津干潟。一帯の埋め立てが進む中でも残った貴重な干潟で、希少な渡り鳥もやってくるとかでラムサール条約の登録地にもなっている。干潟の周囲は遊歩道になっていて、ランニングに汗を流す地元の人の姿も多い。
干潟沿いを行くとまもなく公園に突き当たる。この公園は、かつて谷津遊園と呼ばれる京成電鉄運営の遊園地の跡地である。なんでも、ヘルスセンターと並ぶ京成沿線の行楽地としてたいそうな賑わいを見せていたという。京成がディズニーランドの運営に進出したことと入れ替わりで1982年に閉園、その後は住宅地と公園、そしてもともと谷津遊園に含まれていたバラ園として今に続いている。