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天下分け目の天皇賞・春「トウカイテイオーvsメジロマックイーン」を奇跡的な一戦にした“執念の血”とは
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph byBungeishunju
posted2021/05/02 06:02
29年前の天皇賞・春はメジロマックイーン(青帽)とトウカイテイオー(桃帽)という執念の血が流れる2頭の名馬がぶつかり合った
父は史上初の無敗三冠馬、シンボリルドルフ
一方、トウカイテイオーは、デビュー前から期待され、それにたがわぬパフォーマンスを早くから発揮した。
父は史上初の無敗の三冠馬となった「皇帝」シンボリルドルフ。母はトウカイナチュラル。新冠・長浜牧場の生産。馬主は「トウカイ」の冠で知られる内村正則。栗東の松元省一が管理した。
2歳だった1990年12月、安田隆行が騎乗して新馬戦とシクラメンステークスを完勝。翌91年、若駒ステークス、若葉ステークス、皐月賞、そして日本ダービーを制し、無敗の二冠馬となった。父に次ぐ無敗の三冠制覇が期待されたが、骨折のため断念。
古馬になった92年、父の主戦騎手だった岡部幸雄が新たな鞍上となり、休み明け初戦の産経大阪杯を持ったままで圧勝。「天下分け目の決戦」に駒を進めてきた。
人間でいうとモンローウォークのような独特の歩き方をする馬で、パドックを周回していると、ひときわ目を惹いた。大きな流星もまたフォトジェニックで、スター性にあふれていた。
数奇な運命を辿ったヒサトモの血はつながれた
「皇帝」の跡を継ぐ「帝王」ということで、どうしても父系が注目されがちだが、この馬の母系の血は、オーナーの熱い思いによってつながれたものだった。
トウカイテイオーの血統表を見ると、6代母が「久友」となっている。これは1937年、牝馬として初めて日本ダービーを勝ったヒサトモの繁殖名である。ヒサトモは、競馬史にさん然と輝く実績を残しながらも、数奇な「馬生」を送ることになる。古馬になってから天皇賞の前身である帝室御賞典などを勝ったのち、繁殖牝馬となった。しかし、終戦後、馬不足のため15歳になってから地方競馬で現役に復帰させられ、浦和競馬場で病死したのだ。
トウカイテイオーのオーナーだった内村は、ヒサトモの曾孫にあたるトウカイクイン(トウカイテイオーの3代母)を購入したのを機に、消滅しかけていたヒサトモの血を持った馬を次々と購入するなど、この母系を大切にした。
そう、メジロマックイーンとトウカイテイオーによる最初で最後の戦いとなった「天下分け目の決戦」は、日本を代表するオーナー同士の執念と熱意のぶつかり合いでもあったのだ。