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天下分け目の天皇賞・春「トウカイテイオーvsメジロマックイーン」を奇跡的な一戦にした“執念の血”とは 

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島田明宏

島田明宏Akihiro Shimada

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photograph byBungeishunju

posted2021/05/02 06:02

天下分け目の天皇賞・春「トウカイテイオーvsメジロマックイーン」を奇跡的な一戦にした“執念の血”とは<Number Web> photograph by Bungeishunju

29年前の天皇賞・春はメジロマックイーン(青帽)とトウカイテイオー(桃帽)という執念の血が流れる2頭の名馬がぶつかり合った

執念で生まれた名馬の蹄跡が交わった歴史的一戦は

 しかし、トウカイテイオーは伸びない。次々と他馬にかわされていく。

 メジロマックイーンが先頭でゴールを駆け抜けた。トウカイテイオーは、マックイーンから10馬身ほど遅れた5着に終わった。

 レース10日後、テイオーの右前脚骨折が判明した。その影響があっての敗戦だったのか。

 その後、トウカイテイオーは、骨折明け初戦となった同年の天皇賞・秋で7着に敗れたが、つづくジャパンカップを優勝。次走の有馬記念では11着に大敗するも、1年ぶりの実戦となった93年の有馬記念を制し、感動を呼んだ。

 メジロマックイーンも次走に向けた調教中に骨折、長期休養を余儀なくされた。ひと叩きして臨んだ翌93年の天皇賞・春はライスシャワーの2着に敗れ、春の盾3連覇はならなかった。

 次走の宝塚記念でGI4勝目を挙げ、秋の京都大賞典を最後に現役を退いた。

 その血は、オルフェーヴルやゴールドシップらの母の父として、今なお強大な影響力を発揮している。

 オーナーの執念と熱意で血がつながれ、生を受けた2頭の名馬。その蹄跡が交わったのは、奇跡的な確率だったのかもしれない。「天下分け目の決戦」としてヒートアップした29年前の天皇賞・春は、歴史的一戦として、これからも語り継がれるだろう。

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