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天下分け目の天皇賞・春「トウカイテイオーvsメジロマックイーン」を奇跡的な一戦にした“執念の血”とは
posted2021/05/02 06:02
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph by
Bungeishunju
「おれはこの2頭の馬連を3万円買う」
「おれならその3万円で双眼鏡を買って、このレースを見る」
今から29年前、あるビッグレースを前に、ファンの間でそんなやり取りがなされた。
「天下分け目の決戦」と言われたそのレースは、1992年4月26日の第105回天皇賞・春。主役となっていたのは、春の盾連覇を狙うメジロマックイーンと、無敗のままここに来た前年の二冠馬トウカイテイオーであった。
執念でメジロマックイーンにつないだ「メジロ」の血
メジロマックイーンは、典型的な「遅咲きの大物」だった。父メジロティターン、母メジロオーロラ。浦河・吉田堅牧場生産。メジロ商事株式会社が所有し、栗東に厩舎を構える池江泰郎が管理した。
3歳時の1990年にデビューし、同年秋、内田浩一の手綱で菊花賞を勝ちGI初制覇を遂げる。
翌91年、祖父メジロアサマ、父メジロティターンに次ぐ「天皇賞父仔3代制覇」を達成すべく、新たな鞍上に武豊を迎えた。この年22歳になった武は、2年前と前年の天皇賞・春を、イナリワンとスーパークリークで連覇していた。
オーナーブリーダーとしての天皇賞父仔3代制覇は、メジロ牧場の創始者・北野豊吉の悲願であった。北野はしかし、それを見届けることなく、84年に世を去った。武は、いってみれば、陣営から「メジロ軍団」総帥の「遺言」を託されたわけである。
武豊・メジロマックイーンは同年の天皇賞・春を圧勝。北野の積年の夢だった天皇賞父仔3代制覇をなし遂げた。それはもちろん、史上初の快挙であった。
北野は、まさに執念で「メジロ」の血をつないできた。メジロマックイーンの祖父メジロアサマは種牡馬となった最初の年に受胎した牝馬がゼロだったため、シンジケートが解散。それを引き取り、自身が所有する牝馬に交配しつづけた。それでも産駒は全世代で19頭しか誕生しなかった。その1頭がメジロティターンだったのである。
メジロマックイーンは、その年、91年の天皇賞・秋では6馬身差で1位入線するも、斜行のため最下位に降着。次走のジャパンカップは4着、有馬記念は2着と惜敗がつづいたが、翌92年の年明け初戦の阪神大賞典を圧勝して、この「天下分け目の決戦」を迎えようとしていた。