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東京の消えた野球場 (ドームも神宮も使えない)85年前…“プロ野球”誕生を見守った「上井草球場」、今は何がある?
text by
鼠入昌史Masashi Soiri
photograph byKYODO
posted2021/04/10 11:03
上井草球場をホームとした幻の球団「東京セネタース」。写真はそのセネタースでも活躍した名ピッチャー・野口二郎
その試合は雨の中で行われ、水はけの悪いグラウンドは水浸し。途中で降雨中断を挟みながら、2試合目が終わったのは夜の19時37分だったという。照明設備などない中で、どうやってそんな時間まで野球をやったのか。昔の野球選手は、夜目が効いたのだろうか。
ともあれ、この試合が上井草球場で行われたプロ野球の最後の試合となった。その後は東京オリンピックの会場になる計画もあったが実現せず、1964年に球場はひっそりと取り壊されてしまう。そして東京都の運動場へと生まれ変わり、1979年に杉並区に移管。1998年の全面改装を経て、現在の上井草スポーツセンターになったのである。
「消えた野球場」なのに記念碑がない?
上井草球場とセネタース、それが“傍流”の西武鉄道のものだったとはいえ、時代の歯車のかみ合わせが少しずれていれば、もしかすると西武球場は狭山丘陵ではなく上井草の市街地の真ん中に鎮座していた、なんてことがあったのかもしれない。
と、こうした歴史を物語る何かを探すべく、上井草球場跡地、すなわち上井草スポーツセンターの外周を歩く。スポーツセンターの周りはとにかく緑豊かで静かで穏やかな住宅街である。早稲田のグラウンドと接している道路を歩いていると、ラガーマンたちの声が聞こえてきたりはするが、あとは道をゆく子供たちとその母親たちの声ばかり。彼らに「ここにプロ野球の球場があったって、知ってます?」と聞いてみようかと思ったが、どう考えても不審者なのでやめておいた。
結局、周囲を歩くばかりでは上井草球場の痕跡を見つけることはできなかった。これまで、洲崎球場や東京スタジアム、目黒競馬場などの跡地を訪れてきたが、どこにも記念碑的なものは建っていた。けれど、上井草にはそれもなく、静かに杉並の住宅街の日常が流れているのである。そしてその横を、西武新宿線の電車が駆け抜ける。
上井草という町はガンダム、そして早稲田のラグビーの町だ。おそらく、町を歩くほとんどの人が上井草にプロ野球黎明期の野球場があったことなど知らないに違いない。そしてそれを今に伝えるものもほとんど残っていない。それはやっぱり少しさみしい。駅前のガンダム像の横っちょにでも、「プロ野球発祥の野球場跡」の碑でも建ててもらえないものかなあ……などと思うのである。
(写真=鼠入昌史)