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「支援はブームじゃない」小林悠が語るフロンターレと陸前高田、サッカー教室だけではない10年間
posted2021/03/10 11:02
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph by
KAWASAKI FRONTALE
奇跡の一本松を背に、海から朝日が昇る。
2011年に川崎フロンターレがクラブ独自の被災地復興支援活動「東日本大震災復興支援活動Mind-1ニッポンプロジェクト」を立ち上げてから10年が経つ。
選手やクラブスタッフが参加して今年も等々力競技場や川崎市内の駅で街頭募金を実施する。昨年限りで現役を引退した中村憲剛FRO(フロンターレ リレーションズ オーガナイザー)も参加するという。節目の10年を記念したプロジェクトのロゴには震災以降、継続して交流を持つ陸前高田の風景が描かれている。
「今でもあの光景は忘れられません。道が寸断されて、津波で流されてきたものがそのまま手つかずになっていて、壊れた建物があって……多くの人が亡くなったと聞いて、何も言葉が出てこなかったことを覚えています」
33歳、フロンターレ不動のエースである小林悠がまだ23歳のころ。「Mind-1ニッポンプロジェクト」の発足に伴い、選手たちも「何かやれることはないだろうか」と動いた。震災から半年後の2011年9月、アウェーのモンテディオ山形戦の翌日にチームは選手会主催の「陸前高田市サッカー教室」を行なうために陸前高田を訪れた。
「自分の無力さを感じるしかなかった」
フロンターレと陸前高田のつながり。
津波で教材が流されてしまったことで陸前高田の公立小学校教員から友人の川崎市内の教員に相談の連絡が入り、フロンターレに問い合わせがあったことから始まった。4月にスタッフが車で「フロンターレの算数ドリル上巻」を直接届け、そして初めてのサッカー教室に併せて「下巻」を公立小学校9校に届けることにした。
選手会手づくりのサッカー教室を。選手たちでサッカーを楽しめるメニューを考えた。
子供たちと打ち解けながら、一緒になってボールを追いかけた。サッカーが終わったら、野外でみんな一緒にご飯を食べた。だが小林は子供たちにどんな声を掛けていいのか分からなかったという。