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「支援はブームじゃない」小林悠が語るフロンターレと陸前高田、サッカー教室だけではない10年間
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byKAWASAKI FRONTALE
posted2021/03/10 11:02
陸前高田の子供たちにサッカーを教える小林(2015年撮影)
コロナ禍で無観客、入場制限が続いた昨シーズン、陸前高田ランドの開催も見通しが立たなかった。感染は首都圏で広がってきた経緯もあり、イベントを行なうにしてもJリーグの指針に基づいて慎重に進めていかなければならない。背中を押してくれたのが陸前高田の人たちだった。川崎が少しでも元気になってもらいたい。その気持ちが伝わってきたという。11月に実施することが決まった。
若松は明かす。
「一度、みなさんが現地からわざわざ駆けつけてきて、“もしフロンターレさんが良ければ、陸前高田ランドをやりましょう”と言っていただきました。フロンターレには元気になってもらいたい、と。うれしかったですね。我々としてもちょっと簡単には決められないことだったんで、逆に、感染対策をしっかりして、やってみようと」
新設された「カリフロニア」
イベントは無事、成功した。コロナ禍でもやれたことで、継続できるメドが立った。
昨年には陸前高田市内にグラウンドが新設され、フロンターレが第1グラウンドの名称を募集し「川崎フロンターレ 東北のカリフロニアフィールド」と決めている。
カリフロニアとは、カリフォルニアとフロンターレの合体技。
カリフォルニアとは高田高校の実習船が津波によって当地に流され、返却してくれた縁があるという。そしてフロンターレとの縁。三者のつながりが形となった。
また、地元酒造会社とのコラボで「青椿」という名の微発泡清酒も発売された。復興支援活動から10年経って、両者の絆はより深まっている。
引き継がれる中村憲剛の思い
若松は「新しいアイデアをお互いに出しあいたい」と話す。そしてこう続ける。
「新しいことをやって、それを発信できれば話題になる。日本酒づくりもその一つ。我々だけでなく、陸前高田からもアイデアが出てきています。新しいアイデアを形にしていけば、(東日本大震災を)風化させないことにつながると思うんです。今までやってきたことを、この先も続けていきながら、新しいものを生み出していきたいですね」