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夫が育児と家事を受け持ってくれるからこそ、ブラジル男子柔道監督に… 日本人女性指導者に直撃インタビュー 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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posted2021/02/24 17:10

夫が育児と家事を受け持ってくれるからこそ、ブラジル男子柔道監督に… 日本人女性指導者に直撃インタビュー<Number Web> photograph by AFP/AFLO

2018年頃の藤井裕子監督。そのキャリアは非常にユニークだ

「大石道場には、中学3年まで通いました。中学には柔道部がなかったが柔道場はあったので、仲良しの女の子たちと一緒に練習に励んで。中学校の代表として県大会や全国大会に出場し、それと並行して大石道場でも練習し、柔道漬けの毎日。中学3年のとき、全国大会の56kg級で2位になりました」

谷本さんが金メダルを獲得するのを見て……

――高校では?

「中学の先生に『柔道は今しかできないから、それに力を注げる学校へ行きなさい』と言われ、同朋高校(名古屋市)へ。ここでも柔道に明け暮れる毎日で、高校1年のとき全国大会で3位に。ただ、その後は谷本歩実さんら同年代のトップ選手に勝てなくなりました」

――それはどうしてだったのでしょう?

「猛練習をして技術を高めるのは大好きで、“練習の虫”と言われた。でも、勝負に対する執念が足りなかった。勝負師ではなかったのだと思います」

――高校卒業後、広島大学へ進学した経緯は?

「広大で柔道を教えている先生と出会い、スポーツ推薦で試験を受けられることになったんです」

――大学時代の柔道の成績は?

「あまり良くなかったです。高校時代と同じで、長時間練習して自分では強くなったと思っても、試合では結果が出ない。同じ愛知出身で、同世代で、大石道場で一緒に汗を流した谷本歩実さんが2004年アテネ五輪で金メダルを獲得するのを見て、悔しかったです」

――その後、広大の大学院へ進んだ理由は?

「勉強のためというより、柔道を続けるため。柔道を極めたいと思いました。でも、実業団の大会に出たが、やはり勝てない。大学院を卒業した24歳のとき、『もう選手はいいかな』と思いました」

なぜロンドン西方の大学へと留学したのか

――そして2007年、ロンドン西方にあるバース大学へ留学します。

「当時は何の職業に就くか決めてなくて、とりあえず英語を話せるようになりたい、外国も見ておきたいと思ったんです。また、恩師から『ただ単に英語を勉強するだけでなく、柔道の指導を通して文化を学び、友人を作りなさい』と忠告されました。

 色々調べていたら、東海大の柔道部の学生がバース大学へ留学し、英語を学びながら柔道部の選手を指導をするのが慣例となっていた。たまたまこの年は東海大から留学を希望する人がおらず、私が行かせてもらえることになったんです」

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