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夫が育児と家事を受け持ってくれるからこそ、ブラジル男子柔道監督に… 日本人女性指導者に直撃インタビュー
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byAFP/AFLO
posted2021/02/24 17:10
2018年頃の藤井裕子監督。そのキャリアは非常にユニークだ
「2012年のロンドン五輪を見据えた強化策として、2009年、英国柔道連盟がバース大学で指導教官を務めていたパトリック・ルーとジャーン・ブリッジをそれぞれ男女代表の監督に招聘した。以後、2人が指導する代表チームの練習のお手伝いをしていたら、2010年、女子代表のコーチとして契約してもらえたのです」
“力任せ”だったスタイルをどう変貌させたのか
――当時の英国柔道の印象は?
「パワー重視で、防御的。基本がないがしろにされていて、技の名前を知らなかったり、打ち込みが満足にできない選手もいました。練習量も少なかった。率直なところ、ロンドン五輪で好成績を挙げるのは難しい気がしました」
――どのようにして強化したのですか?
「乱取りを増やし、組み手や寝技を指導しました。選手への個人レッスンを繰り返し、各々の長所を伸ばし、短所を矯正しつつ、ライバル選手の攻略法も練りました」
――効果のほどは?
「毎日、一生懸命練習するうち、次第に選手たちが本気になり、顔つきが変わってきた。これなら行けるかな、という手応えを感じました」
――この頃、未来の夫となる陽樹さんとロンドンで出会ったのですね。
「当時、私は拠点をバースからロンドンへ移そうとしていて、一時的にジェーン・ブリッジの家に居候させてもらっていました。一方、陽樹さんのお母さんが元柔道選手で、ジェーンと知り合いだった。彼は大学を卒業して就職するまでの間、欧州各地を旅行中で、やはりジェーンの家に泊めてもらいに来た。互いに自己紹介をして、ロンドンやその近郊の観光に付き合ってあげたんです」
夫の第一印象は「頼りになる先輩」
ここから、夫の陽樹さんにも話を伺おう。
――陽樹さん、裕子さんの第一印象は?
「英国で柔道のプロコーチをしているのはすごい、と思いました。2人とも、体育会系。彼女の方が年上で、色々と面倒を見てくれた。頼りになる先輩、という感じでした」
――それで、裕子さんはロンドンでコーチの仕事を続け、陽樹さんは日本へ帰って教員の仕事に就いたわけですね。以後、遠距離ながら交際が始まったのでしょうか?
「いえ。たまにメールをやり取りするだけでした」
◆ ◆ ◆
この時点では将来、2人に深い接点があるとは思えなかった。2人はどんないきさつで結婚し、ブラジルへと向かうことになったのだろうか。
(第2回に続く。第3回を含めて関連記事からもご覧になれます)
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