“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
突然のオファーに「え、なんで俺?」選手権優勝、山梨学院“11番”廣澤灯喜はなぜポルトガルに行けたのか
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byNaoki Nishimura/AFLO SPORT
posted2021/02/22 17:01
選手権決勝・青森山田戦で貴重な先制ゴールを挙げたMF廣澤灯喜。大会中に大きな成長を見せたことで海外挑戦への道が開けた
「年齢は関係ない」厳しい競争
「失敗するとか成功するとか関係なしに、チャレンジしてみたいと思いました。このチャンスを断って大学に行ったら、一生後悔すると思ったんです。もちろん1人で不安ですし、もっと日本の友達や家族と過ごしたかったのですが、自分が小さい頃から抱いていた海外への憧れもあったし、こんなチャンスはそうそう来ないと思ったので決断しました」
進学先が系列の山梨学院大学だったことも幸いし、長谷川監督も学校の理事長も快く彼の決断を尊重してくれた。選手権で人生が大きく変わった彼は、今、ポルティモネンセU-23での日々をスタートさせている。
「今思うと生意気なことばかり言って、よく干されなかったなと思うし、縦に仕掛けることでカットインが生きるということは、選手権の試合を通じて凄く実感することができた。他にも献身的な守備や、最後まで走り切ることの重要性だったり、仲間を信じて全員で戦い抜くことの大切さを教えてもらった」
今はポルトガル人とブラジル人との3人で寮生活を送っている。同部屋の2人はともに20代のU-23所属の選手。チームには10代の選手は廣澤を含めて3人しかおらず、常に年上の選手と厳しい生存競争の中に身を置いている。
「こっちにきて感じたのは、年齢は関係ないということ。練習も試合も自己主張のぶつけ合いで、昨日来たばかりの練習生が、以前からいる22歳のGKに『もっとやれよ!』と普通に言う。日本では変に気を使うこともあったけど、こっちは僕の気質には合っている気がします。それに自分を出さないとすぐに飲み込まれてしまうし、『お前は何を考えているの?』と自分を理解してもらえない。ここに遊びにきたわけではないし、いつクビを切られるか分からない世界のスタートラインに立ったばかりなので、学びながら自分をどんどん表現していきたいです」
まだ何も成し遂げたわけではない
彼の言うように、これは決して「成功談」ではない。まだ何か成し遂げたわけではなく、廣澤はたったいま、夢への入り口に立ったに過ぎない。しかし、「こういうスタートラインの立ち方もあるんだよ」ということを後進に示したことに大きな意義がある。
もし、廣澤が「大学進学が決まっているから」というメンタリティーで選手権に臨んでいたら、このオファーは舞い込んでこなかっただろう。すべては彼が「いつ、どこで、誰が見ているか分からない」と心の底から意識し、本気で自分を表現しようとしたからこそ、点と点が線で繋がった。彼の本気が引き寄せた運命であることに間違いはない。
「絶対に選手権で活躍してプロに行くと信じて疑わなかった。今思うと、危機感と執念が違ったと思います。選手権は勝っても負けても、その過程を含めて、全てがプラスの経験になると思います。今回は無観客でしたが、それでも注目度の高さを感じたし、選手たちを奮い立たせてくれる大事な大事な舞台だと思います」
選手権の新たな可能性を示して、廣澤灯喜は厳しいヨーロッパの荒波を突き進んでいく。「いつ、どこで、誰が見ているか分からない」と言う言葉を胸に刻んで。