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「絶対に許せない」OBにさえ噛みつくほどヤンチャだった五郎丸歩 早大時代に“一目置いていた同級生”とは
text by
高川武将Takeyuki Takagawa
photograph byTamon Matsuzono
posted2021/02/08 11:02
2007年度の大学選手権決勝で勝利し、第二部歌「荒ぶる」を歌う(右から)五郎丸、畠山、権丈。主将を務めた権丈は、副将・五郎丸との闘いにも頭を悩ませていた
「そんなに乱れていたわけではないですよ。でも、生活面に関しては、権丈のほうが明らかにまともなことを言っていたんです(笑)。下級生への影響も考えてくれ、と。僕は大学でしか味わえない楽しさを楽しみながら、でもラグビーは人一倍頑張るというスタイルでした。その考えを曲げられずに、関係ないっしょって、権丈に理不尽に怒ってたんです」
そして、こう続けた。
「若い頃は、とにかくトンがってましたから」
前年のチームが関東学院大に決勝で敗れ、「荒ぶる」を獲れなかった直後の会合で、「無様だな」という心無い発言をしたOBに食って掛かった。
「あの言葉は今でも忘れない。僕らは次の年に取り返すことは出来るけど、4年生はもう取り返せない。絶対に許せない、と。今では大人げないことをしたと思ってますけど」
五郎丸「僕はずっと彼の背中を追いかけていたんです」
生来の負けず嫌いである。だから、主将が自分でなく権丈に決まったとき、一瞬だが「俺じゃないのか」という思いも過った。しかし、そんな思いはすぐになくなったという。
「実は僕、子供の頃からずっとバイス(副将)なんです。ラグビースクールでも、高校(佐賀工)でも。だから、バイスのやり方はわかっていました。バイスのプロと呼んでください(笑)」
思えば、代表でも彼はバイスだった。バイスは自分の色を出さない。プレーでチームをけん引しつつ、何か問題点が見えた時は必ず意見する。そんな手法は身に沁みついていた。
ただ、早大で副将という立場に納得した本当の理由は、やはり主将が権丈という男だったからだ。
「子供の頃から、権丈(福岡・筑紫出身)は九州のラグビー界では有名な存在でした。筑紫のスクールは強くて、権丈という凄いキャプテンがいるって。僕はずっと彼の背中を追いかけていたんです」
権丈は五郎丸を負けてはいけない存在としてライバル視していたが、五郎丸にとって権丈は少年時代からの憧れの存在だったのだ。そう聞いて、なるほど、と思った。
「選手主体」と「フォロワーシップ(下支え)」の大事さを強調していた中竹監督は、権丈と五郎丸の関係性も全てわかった上で、カリスマ性をもつ五郎丸ではなく、不器用過ぎる権丈を主将にしたのだろう。誰もが支えてやりたくなる、そんな男を――。
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