将棋PRESSBACK NUMBER

赤ん坊なのに「大人言葉」、毎日8冊超速読…父が明かす糸谷哲郎八段伝説【故・村山聖九段との指導対局も】 

text by

沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

PROFILE

photograph byYasuhiro Itodani

posted2021/02/06 06:01

赤ん坊なのに「大人言葉」、毎日8冊超速読…父が明かす糸谷哲郎八段伝説【故・村山聖九段との指導対局も】<Number Web> photograph by Yasuhiro Itodani

幼少の頃、故・村山聖九段から指導対局を受けたこともある糸谷八段

――小学校での成績は?

「悪くはなかった。ただ、哲郎は自分の意見をしっかり持っているから、生徒を枠にはめようとしたり、個性を認めようとしない先生とは相性が良くなかった。

 でも『三国志には歴史書と『三国志演義』があるんですよ。その違いは……』といった話をして、『糸谷君、良く知ってるね』と感心してくれたような先生は好きだったらしい(笑)。将棋センターで、将棋以外にも三国志など興味が同じお兄さんたちと話ができたのがよかった」

平日、大坂の奨励会に通うために

――小学校6年で学院を受験して合格したわけだけど、糸谷はどうして息子も学院に行かせようと思ったの?

「第一に、これは僕と同じなんだけど、家から一番近い進学校だったから。それに、学院でも月に2日、平日に授業を休んで大阪の奨励会へ通わなければならなかったんだけど、僕が学院時代に教わった国語のC先生がその頃、校長になられていて、授業を休むための便宜を図っていただけそうだった。サッカー部の監督だったO先生もまだ勤務されていて、力になってくれそうだった。公立の学校だと、そのあたりが厳しいとも聞いていたから」

――なるほど。自分の子供を行かせるくらいだから、糸谷は学院が好きだったんだな。僕は今にして思うと、在学中はあまりに規律が厳しくて、心身が縮こまっていた気がする。で、息子さんの学院受験にあたっては、どんな準備をさせたの?

「学習塾に行かせたよ。将棋との掛け持ちで大変だったと思うけど、両方を集中してやったので、この時期、将棋が強くなり、学力も伸びたような気がする」

図書委員で本を1日8冊くらい読んでいたようだ

――なるほど。学院では楽しそうにしていた?

「そうだね。図書委員をしていて、この頃は1日に本を8冊くらい読んでいたようだ。将棋部にも顔を出し、顧問の先生に可愛がっていただいた。奨励会に入っていたので、規則で大会には出場できなかったけれど、部員と将棋を指したりはしていた」

 ◆ ◆ ◆

 広島学院時代、糸谷八段は将棋の実力を伸ばしていく。

 高校2年で奨励会三段リーグを首位で勝ち上がって四段になり 、高校3年になったばかりの4月1日、念願のプロ棋士になった。

第3回に続く。関連記事からもご覧になれます)

関連記事

BACK 1 2 3 4
糸谷哲郎
渡辺明
藤井聡太
村山聖

ゲームの前後の記事

ページトップ