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香川、槙野、柏木…「あいつらに追いつくために」 調子乗り世代・柳川雅樹が大学サッカー界で快進撃
posted2021/01/22 17:00
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph by
Takahito Ando
中止となった全日本大学サッカー選手権大会(インカレ)の代替大会として、1月6日から行われてきた「#atarimaeni Cup」。順当に関東の強豪が勝ち上がる中、関西勢で唯一ベスト8に残ったのが、関西学生リーグ1部で初のトップ3入りを果たしていた甲南大学だった。
準々決勝では関東学生リーグ1部2位の早稲田大に0-3で敗れたものの、インカレ、総理大臣杯という2大全国大会の出場経験がない甲南大にとっては大躍進とも言える。また先日には、10番を背負うMF木村太哉(たかや)がJ2ファジアーノ岡山への加入が内定。同大学初となるJリーガーの誕生が確実となるなど、強化が実を結び始めている。
そんなチームを率いるのが柳川雅樹監督(33)だ。
この名前を見てピンと来た方もいるだろう。2007年、カナダで開催されたU-20W杯に出場していた「調子乗り世代」の1人である。
クラブ初の高卒新人による開幕スタメン
初めて世代別代表に選出されたのは06年1月、U-19日本代表が臨んだカタール国際ユース。すでにヴィッセル神戸U-18からのトップチーム昇格が決まっていた柳川は、そこから世代別代表に定着した。クラブでも同年3月には高卒新人として初となる開幕スタメンの座を掴み、5月にはクラブ史上最速でA契約を結んでいる。
内田篤人、槙野智章、柏木陽介、梅崎司、森重真人、林彰洋、香川真司、太田宏介など、長年日本サッカーを支えてきた面々ばかりの調子乗り世代だが、当時からクラブで出場機会を得ていたのは内田くらい。経験が求められるCBというポジションながら、早咲きの選手だったとも言える。
しかし一方で、U-20W杯も含めて世代別代表ではレギュラーになれたことは一度もなかった。
大きな差を生んでしまった原因
「当時はあまり欲がなかった。代表立ち上げ時から(CBを務めていたのは)チームの精神的支柱だった福元(洋平)とずば抜けた身体能力と強いメンタルを持っていた槙野の2人。僕自身も彼らの方が上だと認めていた。
でも今思うと、そこでライバル意識を持てなかったことが、選手として大成できなかった要因でもあると思います。2人を必要以上に認めすぎてしまっていたし、『僕はヴィッセルで試合に出ているからいいや』と満足している自分がいた。それが僕のサッカー人生を失速させて、“あいつら”との大きな差を生んでしまった」