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香川、槙野、柏木…「あいつらに追いつくために」 調子乗り世代・柳川雅樹が大学サッカー界で快進撃
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2021/01/22 17:00
2019年から甲南大学で監督を務める柳川雅樹。「調子乗り世代」の1人としてU-20W杯を戦った
チームは5位という好成績を収めた。しかし、シーズン終盤に右膝の内側靭帯を伸ばす大怪我を負った。
次のステップとしてマレーシアのクラブの入団テストを受けるつもりだったが、怪我を理由に流れ、リハビリのために日本に帰国。回復が遅れたことで、移籍マーケットも閉じたことから現役引退を決意した。フィリピンでは刺激的な生活を送ったが、結局大きな注目は浴びず、不完全燃焼のままスパイクを脱ぐことになった。
引退後は、フィリピンリーグで共にプレーした鈴木規郎に誘われ、サッカー選手のマネジメントを担う会社を共同で立ち上げた。また、セカンドキャリアの第一歩をスタートさせながらも「僕に決定的に足りなかったものだったから」と心理学の勉強にも取り組んだ。自身のキャリアに残った後悔と反省を生かせるよう、動き続けたという。
エレベーターチームだった甲南大
甲南大への縁がつながったのは、そこから1年近くが経過した19年。新監督を招聘しようと探していたタイミングで、地元・兵庫出身でもある柳川に白羽の矢が立ったのだ。
導かれるように指導者の道を歩み始めたが、当時の甲南大は関西リーグ2部。しかも毎年のように1部と2部を行き交う、言わばエレベーターチームだった。事実、柳川が就任する前年に1部昇格を果たしていたが、2勝18敗2分・得失点差-73という成績で最下位。チームには「1部では勝てない」という雰囲気が蔓延していた。
そんな選手たちを見た柳川はすぐに課題をあぶり出した。1年間勉強した心理学をベースにしたモチベーションのコントロール術と、プロ選手としての経験、そしてフィリピンで培ったチームマネジメントを駆使して、真正面から学生たちに向き合った。
「1部の選手とそんなに技術的な差はない。気持ちの持ちようで大きな差が出る」ことを何度も強調し、「本気で上を目指す」というマインドの改革に着手。さらに自らが志向するハイラインを保ちながら連動した守備と、変幻自在に形を変える動的なポジショナルプレーを植え付けるべく、練習の2時間だけではなく、選手の自主トレに付き合うなど、コミュニケーションを取り続けた。
戦う集団に変貌、柳川も驚く成長ぶり
すると、その成果は柳川が思っている以上に早く現れた。戦う集団に変貌した甲南大は2部で初優勝を達成して1部昇格を手にすると、20年は特殊なレギュレーションながらも1部で快進撃を続け、12チーム中3位でフィニッシュ。さらに「この選手をプロにさせることが僕の仕事の1つ」と期待を寄せていた木村もプロ内定を勝ち取り、初の全国大会でベスト8に導くほどの選手に成長した。
「2~3年後に見据えていた目標を2年目で達成できたのは出来過ぎだと思います。でも、この結果に満足してはいけないし、一過性のものにしてはいけない。それでは“あいつら”に追いつけたとは言えない。継続してインプットとアウトプットを繰り返していきたいですね」