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現役で“SRS校長”佐藤琢磨43歳が語った「自分がステアリングを置くとき」と角田裕毅に教えたいこと
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph byGetty Images
posted2021/01/22 06:00
昨年8月、2度目のインディ500制覇の偉業を遂げた琢磨校長。自身の夢を繋いだSRS-Fから角田裕毅がF1参戦を果たす
「自分はまだまだ進化していると感じています」
しかし、これらの挑戦と挫折が琢磨を成長させた。17年のインディ500で日本人として初優勝した琢磨は、3年後の20年のインディ500でも優勝するという金字塔を打ち立てた。
「そのひとつひとつ(の失敗)に決して無駄はなかったと思っています。35歳のとき、僕はインディ500のファイナルラップの1コーナーで白線を踏んでスピンしました。もちろんプロのレーシングドライバーとして2位でしっかりチェッカーフラッグを受けることも大切ですが、あのミスによって多くのことを学んだことも事実です。もしあのとき、2位で満足していたら、僕はそのあとも挑戦するというスタイルを行おうとしていなかったかもしれません。そうなると、17年のインディ500でも勝っていなかったかもしれないし、20年の優勝もなかったかもしれません」
琢磨がインディで初優勝したのが40歳で、2度目は43歳だった。
「20歳でモータースポーツへの挑戦を開始し、(SRS-Formulaを首席で)卒業したときには、自分が40歳を過ぎてもレースをしているとはまったく想像もしていませんでした。確かに肉体的には20代のころとは違ってさまざまなトレーニングを行って補わなければならないことは増えましたが、コクピットに座ってステアリングを握るたびにいまでもワクワクする気持ちは変わらない。SRS時代に初めて鈴鹿を走ったあのときのことを思い出します。そして、コクピットを降りるときに、いまでも“今日もいろいろと勉強になった”と思うんです。そういう意味では、自分はまだまだ進化していると感じています。それが感じられなくなったときが、自分がステアリングを置くときだと思っています」
自分が挑戦している姿をリアルタイムに感じてもらう
現役選手であると同時に、琢磨は若手を育成する立場にもなった。19年、自らを育てたSRSのフォーミュラ部門とカート部門の新校長に就任した。
「SRSの校長を(前任の)中嶋(悟/日本初のフルタイムF1ドライバー)さんから引き継いだとき、若い世代の生徒たちに自分に何ができるだろうかと考えました。SRSは僕がひとりで教えているわけではなく、中野信治(副校長/97~98年F1ドライバー)や多くの強力な講師陣がいるので、授業など実際に教える内容は彼らに任せています。そのうえで、僕にできることはいま自分が挑戦している姿をリアルタイムに感じてもらうこと」(琢磨)