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【箱根駅伝】駒大・田澤廉の評価が低すぎる問題 次々とエースを崩し、他校監督も「やられました…」
text by
和田悟志Satoshi Wada
photograph byYuki Suenaga
posted2021/01/14 11:03
駒大エースとして注目を集め、2区を走った2年の田澤は本当に“振るわなかった”のだろうか
他大学のエースのペースをことごとく乱していった
また、田澤のすごさは、ライバル校の指導者、選手の証言からも分かる。
10km過ぎに、國學院大、順天堂大、帝京大の3校をかわしているが、いずれのチームのエースも決して無抵抗だったわけではなく、一度は田澤に付いていこうという姿勢を見せた。
國學院大の前田康弘監督はこう振り返る。
「大翔(中西、2年)は、10km通過が28分45秒とただでさえ速かったのに、そこに田澤君が来て次の1kmを2分51秒に上げられて止まってしまった。田澤君にやられましたね」
今季エース格に成長した中西だったが、1時間9分14秒で区間15位に終わっている。
この3人のうち、最後まで食らいついたのが帝京大の星岳(4年)だった。その星も「田澤君に付いていきたかったが、ペースを合わせるのがきつくて付いていけなかった」と言う。そして、田澤のハイペースに振り落とされたあとは苦しいレースになった。順大の野村優作(2年)にも抜き返され、前回よりも47秒遅かった。
田澤に挑んだ他大学のエースたちはことごとく、存分に力を発揮できなかった。“エースクラッシャー”とでも言うべきか、田澤の中盤の走りの破壊力はすさまじかった。
1区15位から立て直すのは簡単なことではない
大八木監督は12月30日時点で「田澤ぐらいしか(オーダーが)決まっていなかった」と言う。言い換えれば、真っ先に決まっていたのが2区の田澤だったということだ。それほど、指揮官も絶対的な信頼を寄せている。実際に、1区で15位と出遅れて、そこから立て直せた選手が、田澤の他にいたのかどうか……。
劇的な逆転劇だったため、戦前の注目度の高さとは裏腹にレース後の田澤の扱いはいささか小さく映るが、2区に配した大八木監督の采配はずばり的中していたといえる。そして、田澤で上位に付けるというプランは叶わなくとも、ゲームチェンジャーとしての働きぶりは見事なものだった。
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