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“真空飛び膝蹴り”沢村忠はリアルに弱かったのか? 全241戦「フェイク試合だった」疑惑を検証する
text by
細田昌志Masashi Hosoda
photograph bySankei Shimbun
posted2020/12/30 17:06
キックを繰り出す沢村忠(1970年代、後楽園ホールで)
「彼は剛柔流の基礎を叩き込んでからは、独特の型を編み出しました。おじいさんの影響でしょう。だから定型通りにいかない。組手でも、やりにくいなあと感じたものです」
専門誌の中で武道家としての沢村忠に唯一焦点を当てた『フルコンタクトKARATE』(1996年4月1日号)では《代表的な唐手のコンビネーション》と、その型を写真付きで紹介している。それは唐手(とうて)と呼ばれるもので、「おじいさんもオヤジも唐手の先生(中略)。唐手とは空手の源流にあたる中国拳法」という沢村自身による解説もある。事実、キックボクサー時代の記事では「義和団由来の中国拳法」といった記載もあった。
武術全般に通じたオーソリティで、かつて早稲田大学スポーツ科学学術院助教の任にあった池本淳一会津大学上級准教授に筆者はその写真を見せた。彼は「おそらく、これは中国武術です」と即答した。
「中国武術か日本空手か、その違いは構えに表れます。少年時代の修練は、ずっとこの人の中に息づいていたということでしょう」
沢村忠には、日藝での剛柔流空手に費やした四年間の修業期間のみならず、高校のバレーボールで培われた跳躍力、さらに、祖父直伝の中国武術の血が脈々と流れている。
もちろん、これだけで実力云々を断じるつもりは毛頭ない。重要なのは実戦である。
リアルファイト(真剣勝負)だったプロ2戦目は……
現在の格闘技マスコミや関係者の多くから「フェイクの山を築いた」と酷評され、嘲笑されもする沢村忠だが、少なくともプロ2戦目となるサマン・ソー・アディソン戦がリアルファイト(真剣勝負)だったことは本書でも詳述した。
《飛び蹴りでKO勝ちを収めた》というデビュー戦のラクレー・シー・ハヌマン戦は、リアルファイトではなかった。だとすれば、プロ2戦目のサマン戦こそが、沢村にとって実質的なデビュー戦だったことになる。
詳しい試合の経過については本書でも触れたので割愛するが、映像を見て一言で言うなら、手も足もでない完敗だった。とにかく距離感が掴めていないのだ。序盤は積極的に手数を出すも、かわされすかされ、ブロックされたかと思えば、カウンターでパンチを合わされ、怯んだところでミドルキックを浴びる。ひたすらこの繰り返しである。
しかし、前述したようにこれがデビュー戦であることを忘れてはならない。グローブ経験を持たない大学の伝統空手出身の青年が、タイ式ボクシングの現役選手と真剣勝負を行ったのだ。それだけでも驚嘆に値するし、敗北という結果を招いたのは火を見るより明らかだった。
「サマンはこのとき、叩き潰すという感じでは全然なくて、遊んでいました。適度に見せ場を作りながら試合を流していたんです。技術とキャリアを考えたら当たり前の話です。それでも、沢ちゃんは、本当によくやりましたよ」(この試合のレフェリーを務めたウクリッド・サラサス)