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大阪の“消えた野球場”…野茂も投げた「藤井寺球場」、今は何がある? “最後の近鉄戦士”が知る16年前のあの日 

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鼠入昌史

鼠入昌史Masashi Soiri

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posted2020/12/23 11:05

大阪の“消えた野球場”…野茂も投げた「藤井寺球場」、今は何がある? “最後の近鉄戦士”が知る16年前のあの日<Number Web> photograph by KYODO

1993年、藤井寺球場での開幕戦を完投勝利で飾り、笑顔で光山や石井(右)と握手する野茂

藤井寺球場の“痕跡”はある?

 かつてこの地に藤井寺球場があったことをしのばせるものはほとんど残っていなかった。学校の南側に建つマンションがかつての外野スタンドの外周に沿った形をしていること、そして校門の脇に小さなモニュメントがあるくらいだ。モニュメントは学校が開校する直前の2009年3月、学校側が近鉄に話を持ちかけて近鉄が寄贈したものだという。そのモニュメントの前を、生徒たちは何の関心もなさそうに通り過ぎていく。本当にここに近鉄バファローズの本拠地・藤井寺球場があったのだろうか……。

なぜ藤井寺球場では“一度しか”日本シリーズがなかったか

 藤井寺球場に最もたくさんのファンが集ったのは、おそらく1989年の日本シリーズではないかと思う。近鉄がブライアントの4連発で劇的なリーグ優勝を果たし、セ・リーグの覇者読売ジャイアンツと戦った。近鉄が3連勝するも、「巨人打線はロッテ以下」発言があったとかなかったとかで、結局巨人に4連敗を喫して日本一を逃してしまった、というあの伝説の日本シリーズだ。藤井寺球場では第1・2・6・7戦が行われている。

 近鉄はそれ以前にも何度かリーグ優勝をしているが、日本シリーズを藤井寺球場で戦ったのはこの1989年だけである。というのも、日本シリーズ開催には“照明設備のある収容3万人以上”という条件があったから。藤井寺球場にはナイター設備がなく、そのせいで近鉄がもうひとつのホーム球場として使っていた日生球場ともども、日本シリーズの会場にはなり得なかったのだ(1979・1980年のシリーズでは南海ホークスの本拠地・大阪球場を間借りしている)。

「ナイター公害反対」訴訟

 なんで最初から照明設備を取り付けなかったのか、と思ってしまうが、そもそも近鉄球団は創立当時からパ・リーグきっての弱小球団。日本シリーズをやることになるなんて誰も思っていなかったのかもしれない。ところが、1970年頃になると急に強くなって続けてAクラス入りをしてしまう。このままだとヤバいぞ、というわけで、近鉄さんは藤井寺球場の大改装を計画する。収容人員を増やしてナイター設備を取り付け、強豪球団の本拠地らしい立派なものにするぞ、と意気込んだのだ。

【次ページ】 「こんなひどい仕打ちをするのは許せません」

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