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大阪の“消えた野球場”…野茂も投げた「藤井寺球場」、今は何がある? “最後の近鉄戦士”が知る16年前のあの日
text by
鼠入昌史Masashi Soiri
photograph byKYODO
posted2020/12/23 11:05
1993年、藤井寺球場での開幕戦を完投勝利で飾り、笑顔で光山や石井(右)と握手する野茂
近づいてみると葛井寺(“ふじいでら”と読む)の門前で、青空市のごとくお花を売っているらしい。この葛井寺こそが、藤井寺の町のはじまり。725年に聖武天皇の勅願に基づいて行基が創建した……というスゴい歴史的な言い伝えがあるほどの古刹だ。南北朝時代には楠木正成が陣を構えたこともあるという。藤井寺の町は、葛井寺の門前町として発展していった。大阪のベッドタウンだとか、そういうイメージで捉えていたが、歴史としては大阪市内にも負けず劣らずの立派な町なのだ(ちなみにさらに歴史を遡ると近くには仲哀天皇陵とされる立派な前方後円墳があったり、古代河内国府が置かれていたりと、とにかく由緒はたっぷりである)。
とっても立派な私立校が……
こうして藤井寺の町の歴史に触れたところで、いよいよ藤井寺球場を目指そう。駅から少し離れた細い道を歩いていくと、広めの公園があってその名も「ブクンダ公園」。ちょっと響きは東南アジアっぽいが……そう思って「ブクンダ」の由来を調べてみると、れっきとした日本名、“仏供田”がルーツなのだとか。もともとこの地には仏供田池という溜池があって、それが埋め立てられて公園になり、仏供田と言われても読めやしないということでカタカナの“ブクンダ”になった……というわけだ。いずれにしても、藤井寺はどことなく歴史の香る古き町である。
寄り道ばかりになってしまったが、ブクンダ公園の脇を抜けるといよいよ藤井寺球場である。藤井寺球場は、藤井寺駅のすぐ西側、線路沿いに鎮座していた。していた、というのは今はもうないからだ。その場所に行ってみると、とてつもなく立派な学校ができていた。四天王寺小学校・四天王寺東中学校・四天王寺東高等学校らしい。古くて“ガラガラ”だった藤井寺球場の跡地に、とっても立派な私立学校が建つ。この場所で試合をしていた坂口智隆が今も現役だというのに、世の移り変わりはあまりにも速い。