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「1億円プレイヤー」とプロ野球の年俸高騰 昭和の頃はサラリーマンと大差ない年収も…FA制度が原因か
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byNanae Suzuki
posted2020/12/11 11:02
FA移籍して2019年から巨人の一員となった炭谷銀仁朗
自腹で食事。センスも良くなった
億単位の年俸をもらっている今の投手は、一般人のレベルの金では動くわけもない。
昭和中期に出版された野球雑誌を見ていると、春季キャンプ中、選手は練習が終わると大広間で麻雀をすることもあったようだ。監督も選手とのコミュニケーションのために、卓を囲むことがあった。煙草の煙が立ち込める中、何時間も、時には夜が明けるまで麻雀に興じていたのだ。中にはユニフォームの上からどてらを羽織ったなりの選手もいた。
今なら違法とばくで一発アウトだが、“賭けない麻雀”など存在しなかっただろう。この席に、新聞記者や一般人も加わることもあったようだ。
またゴルフも昔は「握る」のが常識だったが、こうした中で金の貸し借りも生まれた。しかし、やり取りしたのは千円札。ゴルフも麻雀も、サラリーマンの記者が一緒に遊べるようなレートだったのだ。今は、そういう習慣もほとんど見られなくなった。
もちろん、最近も野球とばく事件は起こっているが、今の事件は選手が「金を貰う」のではなく、「金を使う」類の行為だ。当然これも問題だが、昔のように反社会勢力の誘いに金でなびいて八百長をするような危険性は格段に小さくなったといえるだろう。
今のスター選手は、自腹で食事をする。また後輩選手に食事をおごる。いわゆる「タニマチ(贔屓)」のお供をすることもなくなった。並みのタニマチよりもはるかに高給取りだからだ。
そしてセンスもよくなった。昔は野球選手の私服と言えば、パンチパーマ、ダブルベンツのスーツと相場が決まっていたが、今の野球選手は一流のブランドを実におしゃれに着こなす。背が高くてスタイルもいいからよく似合う。持っているもののセンスもいい。
まさにステイタスが変わったといえよう。
社会に貢献するプロ野球選手
そして今のスター選手は、社会貢献活動に積極的だ。
プロ野球人の社会貢献活動優秀者を表彰するゴールデンスピリット賞の歴代受賞者を並べてみよう。
1999年 松井秀喜(巨) 少年のいじめ防止キャンペーン
2000年 片岡篤史(日) 児童養護施設「愛隣会目黒若葉寮」への慰問など
2001年 中村紀洋(近) 大阪教育大学附属池田小学校の慰問
2002年 飯田哲也(ヤ) 神宮球場に少年野球選手を招待する「飯田シート」を設置
2003年 井上一樹(中) 難病の少年少女への慰問活動
2004年 赤星憲広(神) 盗塁数に応じて全国の施設・病院に車椅子を寄付
2005年 バレンタイン(ロ) 新潟県中越地震などの復興支援チャリティー試合を提案
2006年 和田毅(ソ) 投球数に応じてワクチンを寄贈
2007年 三浦大輔(横) 横浜市社会福祉協議会にシーズンシートを寄付
2008年 岩隈久志(楽) Kスタ宮城に福祉施設の児童を招待する「岩隈シート」を設置
2009年 小笠原道大(巨) 市川市社会福祉協議会などへの寄付
2010年 ダルビッシュ有(日) 口蹄疫の被害の宮崎県の畜産農家に対し300万円の義援金
2011年 山崎武司(楽) 本塁打数に応じた「ホームラン基金」の設立
2012年 藤川球児(神) 骨髄バンクの支援
2013年 宮本慎也(ヤ) 盲導犬育成の支援
2014年 栗山巧(西) 知的障害児・小児がん患者への球場招待
2015年 今江敏晃(ロ) 小児がんフロンティアーズへ1打点につき1万円を寄付
2016年 内海哲也(巨) 児童養護施設の児童にランドセルを寄付
2017年 岩田稔(神) 糖尿病研究基金へ1勝につき10万円を寄付。
2018年 井口資仁(ロ) 車椅子寄付。東日本大震災の寄付など、幅広く活動。