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「1億円プレイヤー」とプロ野球の年俸高騰 昭和の頃はサラリーマンと大差ない年収も…FA制度が原因か
posted2020/12/11 11:02
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Nanae Suzuki
野球のストーブリーグとは、シーズンオフに主として選手の「人事」の話題にファンが一喜一憂することだ。「人事考課」及び「人事異動」がメディアをにぎわわせる。
ストーブにくべられるのは主として「お金」だ。
特にFA制度の導入以降、FA移籍選手の巨額の年俸は、大きな話題となる。2018年オフで言えば、広島から巨人に移籍した丸佳浩は5年25.5億、西武から楽天に移籍した浅村栄斗は4年20億円(いずれも推定)とされる。
「なんだ、所詮は金か!」というのは無責任な外野の言い草だろう。
私はサラリーマン時代、一代で財を成したオーナー社長に大阪、北新地(東京で言えば銀座だ)でお酒を御馳走になったことがある。「君らにはわからんやろが、何千万円の収入が何億円に変わったら、生活も、考え方も変わるんや。何億から何十億になる時も同じや。そうなるときは大勝負や!」と言われたことがある。
才能の塊のようなトップクラスの野球選手にとっても、FAは一生で何度もない「大勝負」なのだ。
サラリーマンと大差ない年収だった
昭和の昔、「1000万プレイヤー」が一流選手の勲章と言われた。今は「1億円プレイヤー」がこれに当たるだろう。昭和55年(1980年)の大卒初任給は約11.5万円、平成30年(2018年)は21.1万円、2倍弱の伸びだが、プロ野球の「一流」の基準はこの間に10倍になっている。
これは、プロ野球選手のステイタスがそれだけ上がったことを意味している。
一昨年亡くなった永射保は、現役時代「左打者殺し」の異名を取った一流の中継ぎ左腕だったが、現役時代、オフには身分を隠して自衛隊でアルバイトをしていたという。屈強で仕事もできたので「正式に入隊しないか?」と誘われて断るのに苦労したという。
当時の野球選手は、一部のスター選手を除いて、サラリーマンとさして変わらない収入で野球をしていたのだ。
1969年に球界を揺るがした「黒い霧事件」は、そういう「プロ野球選手のステイタスの低さ」を背景として起こった。主犯格の投手は二けた勝利も記録した一線級だったが、年俸は150万円程度だった。だから高級クラブで接待され、10万円、20万円という金を提示されて目がくらんで八百長を行ったのだ。