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「マラドーナの表紙を作るために、僕は…」ディエゴは危なっかしくて、未熟で、魅力的だった 

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吉田治良

吉田治良Jiro Yoshida

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photograph byGetty Images

posted2020/12/04 11:00

「マラドーナの表紙を作るために、僕は…」ディエゴは危なっかしくて、未熟で、魅力的だった<Number Web> photograph by Getty Images

いわゆる“破天荒型”のフットボーラーは今後数少なくなるだろう。文字通り自由奔放なマラドーナは魅力的だった

破天荒なフットボーラーとしての記憶

 マラドーナの死が、人間味あふれる古き良き時代のサッカーとフィジカルでどこか無機質な現代サッカーの間に、くっきりとした一本の線を引く。

 それでも、マラドーナという破天荒なフットボーラーがいたことを、我々は決して忘れてはならない。サッカーがマシンではなく人間のスポーツであることを思い出し、その原点にいつでも立ち返れるように。

マラドーナがいなければ、という人の多さ

 マラドーナがいなければ、プロになっていなかった。そんな選手は世界中にごまんといるだろう。その影響力は、とてつもない。そしてかくいう僕も、マラドーナがいなければ、きっとこの仕事には就いていなかったと思う。

 大学1年生の時、「芸術」という選択科目のテストで、「美しいもの」について書きなさいという課題が出た。僕は迷わず、「86年メキシコW杯のマラドーナのドリブル」をテーマにした。思い返せば、それが人生で初めて書いたスポーツ原稿だったのかもしれない。担当教授は、1年次で唯一となる「A」をくれた。文章を書き、誰かに伝える喜びを知った瞬間だった。

独占インタビューに挑んだ際の苦い思い出

 それから数年後、僕はサッカー専門誌の編集者になる。9年間務めた編集長時代に一度だけ、マラドーナを表紙にしたことがある。詳しい内容は覚えていないけれど、あれは2004年、たしか特集のテーマは、「『スペクタクル』ってなんだ?」。マラドーナしか思い浮かばなかった。

 雑誌の創刊は94年で、マラドーナがアメリカW杯をドーピング違反で追い出された直後だったから、彼を表紙にするチャンスはそれまで一度もなかった。ようやく訪れた機会に、僕は表紙だけではなく、マラドーナの独占インタビューも掲載できないかとチャレンジする。掛け合ってくれた現地コーディネーターからの返事はこうだった。

「〇万円支払えば、受けてもいいと言っていますが、どうしますか?」

【次ページ】 その要求額が“桁違い”だった

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#ディエゴ・マラドーナ
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