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「マラドーナの表紙を作るために、僕は…」ディエゴは危なっかしくて、未熟で、魅力的だった
text by
吉田治良Jiro Yoshida
photograph byGetty Images
posted2020/12/04 11:00
いわゆる“破天荒型”のフットボーラーは今後数少なくなるだろう。文字通り自由奔放なマラドーナは魅力的だった
報復、観客への放送禁止用語……
1982年のスペインW杯で、ブラジルのMFバチスタに報復の蹴りを見舞って一発退場を食らう。バルセロナ時代の83-84シーズンには、執拗なファウルに苦しめられたアスレティック・ビルバオとのコパ・デル・レイ決勝終了後、猛然と相手選手に襲い掛かり、顔面にキックを見舞って卒倒させた。
90年イタリアW杯決勝では、観客の大ブーイングに放送禁止用語を口走り、敗戦後には人目もはばからず涙を流している。
ほんの少しでも自律する術を知っていれば
あれほど輝かしい実績を残しながら、あれほど未成熟で、あれほど人間味に溢れていたプレーヤーを、僕は他に知らない。
もちろん、だからと言って、未成熟さや心の弱さを理由にドラッグに手を出していいとは言わない。もし、彼がほんの少しでも自分を律する術を知っていれば、あるいは周りに良き理解者がいれば、キャリアの晩年も、引退後の生活も、もっと穏やかで実りあるものになっていたはずだ。
「サッカーを汚したことは一度もない」
しかし一方で、それも含めてマラドーナの魅力だったのだと、そう思う自分もいる。どこか危なっかしくて、人間臭いからこそ、マラドーナなのだ。
「俺は数々の過ちを犯した。それでもサッカーを汚したことは一度たりともない」
マラドーナほどピュアに、このスポーツと向き合ったフットボーラーはいない。ピュアすぎるがゆえの過ちの数々だった。
60歳という早すぎるマラドーナの最期が、サッカーから人間味が失われ、まるでマシンと化した筋肉質なアスリートたちのものになってしまった時代を、いっそう鮮明に浮き上がらせている。
これまでもそうだったように、いや、これからはなおさら、「マラドーナ的なフットボーラー」は現れても、「第2のマラドーナ」が産み落とされることはないだろう。アクの少ない優等生たちが、ベルトコンベアから機械的に量産され、さらに均質化したフットボールがピッチ上で繰り広げられるのだ。