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河村勇輝「父のような父になりたい」 非“熱血おやじ”が作った庭のバスケットコートが高校生Bリーガーを生んだ
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph byYuki Suenaga
posted2020/11/29 17:01
オータムカップでの自身のプレーには「満足していない」という河村。12月7日に始まるインカレでも優勝を狙う
日本のスポーツ界の悪しき伝統
ただ、バスケにそこまでの情熱を傾けながらも、吉一さんは決して自分のこだわりを押しつけてくるようなことはなかった。
実際、バスケをやれと強制されたことはない。それどころか、河村がバスケ以外の好きなスポーツをやるのを喜んでくれた。
日本のスポーツ界の悪しき伝統は、競技への忠誠を求めることだ。他の競技に関心を持たないことが、自分の取り組む競技にプラスになると信じる風潮がある。欧米のように、幼少期には複数のスポーツをやることが身体の発育にプラスになるという見方が一般的になった今でさえ、日本にはそうした風潮が残っている。
いまから10年以上も前の時点で、吉一さんは柔軟な考えを持っていたのだ。
野球少年の転機はスポーツショップ
山口県柳井市にある河村家の敷地は広大で、河村が幼稚園のときから庭にはバスケットボールのゴールが設置されていた。
ただ、バスケを本格的に始めるまで、河村は野球のほうに熱をあげていたくらいだった。父子でのキャッチボールが日課だったし、2人で風呂に入るときには、水中に入れた手首を50回スナップさせたら湯船から出られるというゲームをしていた。手首を強くすれば野球に役立つからという親心からだった。
「強制というよりは、お遊びというか、コミュニケーションの一環としてやっていたんですよね。ただ、あのときの経験ってけっこう生きている部分はあると思うんです。手首もそうですし、キャッチボールですごく肩の力はついたんじゃないかなぁと」
転機は、小学2年生のときだった。
地元の野球チームに入ろうと、河村はスポーツショップを訪れた。
「そこにあった野球のグッズには、自分のなかでピンとくるものがなくて……。『他に良いものはないかなぁ』と見ていたら、近くにバスケットコーナーがあった。そこで、『バスケのユニフォームの方がカッコイイ』と思ってしまって(笑)。それまで2~3年は野球を熱心にやっていたんですけど、その1カ月間くらいで、急にバスケに変更しちゃいました。もともと地元のミニバスケットボールクラブは環境が良くて、指導者の方もすごく良いと定評があったので、本格的にやるには良い環境が整っていたんです」