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河村勇輝「父のような父になりたい」 非“熱血おやじ”が作った庭のバスケットコートが高校生Bリーガーを生んだ
posted2020/11/29 17:01
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph by
Yuki Suenaga
河村勇輝の少年時代は、夢の中までバスケットボールにあふれていた。
昨シーズン、高校生として初めてBリーグのコートに立ってプレーした河村は、本格的にバスケットボールを始めた小学2年生から6年生まで、父である吉一さんの部屋で寝ていたと言う。
バスケットボールの指導者である父の部屋には、数多くのNBAや国内バスケに関するビデオが並んでいた。布団に入る前に、部屋にある棚からビデオを取り出す。マイケル・ジョーダンをはじめとした1990年代のNBAのスーパースターたちの映像から、田臥勇太の能代工業高校時代の映像まで、その内容はバリエーションに富んでいた。
幼児がお気に入りの本を選んで、親に読み聞かせてもらいながら眠るように、バスケのビデオを見ながら眠りにつくのが日課だった。さながら睡眠学習のようなものだった。
吉一さんがいたから見た過去のバスケの映像
この時期に見た田臥のプレーが、今の自分のプレースタイルにつながっていると河村は確信している。
「『田臥選手は普通に走るよりも、ドリブルをしながら走ったときの方が速い』という話を聞いたことがあったんです。僕もそれくらい速くなりたいなと思って、ドリブルをつきながら速く進むことと、ドリブルを強くつくことを意識して練習していました。僕のドリブルは田臥さんの影響がすごく強いんです」
田臥は1996年4月に能代工業に入り、1999年3月に卒業している。
一方、河村が生を受けたのは2001年のこと。このときすでに田臥はハワイの大学で、NBAのコートに立つことを目指していた。
吉一さんがいなければ、簡単には目にすることのできなかった過去のバスケの映像。それが田臥と同じPG(ポイントガード)としての河村の礎を築くことになった。
そんな吉一さんの口癖は「本物しか買わない」だった。
「本物」というのはNBAの選手のサインのことで、ネットオークションなどを見ながら本物のサインを集めてきた。今でもサインを集めることが趣味だと公言しているという。