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「腹破らんでくれ! 喉食って殺して!」本当にあった“ヒグマ食害事件”の地獄絵図
text by
増田俊也Toshinari Masuda
photograph byGetty Images
posted2020/08/10 00:01
なぜヒグマにこだわり続けるのか
そんななか、なぜクマ研の人たちは、これほどまでにヒグマにこだわり続けるのか。
それは間違いなく畏怖である。
成体で最大500キロに近い圧倒的な大きさからくる畏怖だ。
ここまで断言するのは、私自身がヒグマに惹かれたもまたこの大きさにあったからだ。圧倒的な大きさからくる人間には抗えない存在感をこの生き物は持っている。ライオンもトラも、成獣でせいぜい250キロ、その倍近い体を持っているにもかかわらず、いまも北海道ではヒグマが悠々と人間の生活圏を歩いている。だから、北海道に住む人たちが感じるヒグマの存在感と、内地の人間たちが想像で語るヒグマのイメージには大きな乖離がある。クマ研に入ったメンバーたちがヒグマにのめりこんでいったのは、北大に入学して初めて北海道の地面に立ったとき、この地続きに巨大なヒグマが何千頭も歩いているという興奮に打ち震えたからであろう。クマ研発足のきっかけは学生たちの「野生のヒグマを直に見てみたい」という憧れから始まっていた。
柔道部とクマ研の2足のわらじを履こうと思って北海道大学に入学した私はしかし、柔道部の練習が思っていた以上に過酷で、体力にも時間にも余裕がなく、クマ研に入ることができなかった。柔道部在籍時に2度留年した私は引退時4年目のときに書類上はまだ2年生だった。すでに24歳、卒業する気も卒業できる見込みもなさそうだったので北海タイムス社に就職してそのまま大学を中退した。これでヒグマとは縁遠くなるはずだった。
だが、後に編集局長に就く老記者のSさん(当時論説委員)との縁で私のヒグマ熱は再燃する。なにかの打ち上げ飲み会で横に座ったSさんがしきりにヒグマのことを話すので聞くと、実はこのSさんは、北海道のマスコミ界で“ヒグマ記者”と呼ばれている人だった。「俺はクマ研の設立時にも外部委員のような形で関わってたんだ」
Sさんは破顔して話し続けた。
私のような若い人間がヒグマに興味を持っているのが嬉しくてしかたないようだった。飲み会がお開きになっても2人でススキノの安酒場に場所を移して朝までヒグマ談義は続いた。このときSさんから「絶対に読んだほうがいい」と薦められたのが吉村昭さんの『羆嵐』(新潮文庫)、三毛別ヒグマ事件を取材して書いた記録小説である。
朝9時ごろススキノで別れた私は書店で『羆嵐』を買ってそのまま会社に戻り、休憩室のソファに横になってそれを読みはじめ、一気に引きずりこまれた。吉村さんの乾いて簡潔な文体が、静かにひた忍び寄るヒグマの生態に合って、まさに自分が襲われている感覚にとらわれ、読み終わったときにはシャツが大量の汗で重くなっていた。
それ以来、私は仕事の合間に資料室でヒグマによる過去の人身事故について調べるようになった。その過程で本書『慟哭の谷』に出合い、ノンフィクションの迫力に震えた。『羆嵐』を超える恐怖がそこには綴られていた。
少し内容を引いてみよう。