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「腹破らんでくれ! 喉食って殺して!」本当にあった“ヒグマ食害事件”の地獄絵図
text by
増田俊也Toshinari Masuda
photograph byGetty Images
posted2020/08/10 00:01
「腹破らんでくれ! 喉食って殺して!」
《熊はオドの腰の辺りに激しく咬みかかり、尻から右股の肉をえぐりとり、右手に爪傷を負わせた。「うわあ!!」
体が引き裂ける痛みにオドは絶叫した。
この叫びに思わず手を放した熊は、今度は恐怖に泣き騒ぐ親子のいる居間に戻った。ここで熊は明景金蔵を一撃の下に叩き殺し、怯える斉藤巌、春義兄弟を襲った。巌は瀕死の傷を負い、春義はその場で叩き殺された。この時、片隅の野菜置場に逃れていた母親斉藤タケは、わが子の断末魔のうめき声に、たまらずムシロの陰から顔を出してしまった。執拗な熊はタケを見つけ、爪をかけて居間のなかほどに引きずり出した。タケは明日にも生まれそうな臨月の身であった。「腹破らんでくれ! 腹破らんでくれ!」「喉食って殺して! 喉食って殺して!」
タケは力の限り叫び続けたが、やがて蚊の鳴くようなうなり声になって意識を失った。
熊はタケの腹を引き裂き、うごめく胎児を土間に搔きだして、やにわに彼女を上半身から食いだした》
まさに地獄である。
北海道民は開拓時代からずっと、ヒグマと戦い続けていた。死者3名・重傷者2名を出した札幌丘珠事件(1878)、死者4名・重傷者3名を出した石狩沼田幌新事件(1923)、パーティー5人のうち3人が殺された福岡大ワンゲル同好会事件(1970)など、毎年のように悲惨な事故が起きている。
内地の人は「それは昔の話ではないのか。それにヒグマ事故は高い山や知床など、人があまり行かないところで起きているのではないか」と思うかもしれない。しかし実際には、平成に入っても190万都市の札幌市内だけで年に100件以上のヒグマ出没騒ぎがあり、襲われて死ぬ者もいる。
この『慟哭の谷』は、深い山の中の、昔の話ではない。いまも読者が北海道旅行に行って、ほんの数歩、国道沿いの藪の中に入っていけば、そこにある現実である。だからこそ、私たち読む者の喉元に凄まじい恐怖を突きつけるのだ。
【前編】「マユ。マユはどこだ!」8人の死者を出したヒグマによる惨劇「三毛別事件」の幕明け へ
村人たちは恐怖に震えながらもヒグマ退治に乗り出すが、冬眠しそこねて“穴持たず”となり凶暴化したヒグマは、悪魔のような知恵を働かせて、村人たちを次々と牙にかけていく――。死者8名という世界的にみてもヒグマによる食害事件としては類をみない最悪の惨劇となった「三毛別(さんけべつ)事件」の全貌を、生存者たちへの貴重な証言をもとに描き出す戦慄のノンフィクション。