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「腹破らんでくれ! 喉食って殺して!」本当にあった“ヒグマ食害事件”の地獄絵図 

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増田俊也

増田俊也Toshinari Masuda

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photograph byGetty Images

posted2020/08/10 00:01

「腹破らんでくれ! 喉食って殺して!」本当にあった“ヒグマ食害事件”の地獄絵図<Number Web> photograph by Getty Images

北海道大学ヒグマ研究グループ(略称クマ研)の存在

 戦前の高専柔道の流れをくみ旧帝大の7校だけに伝わっている寝技中心七帝柔道をやるために私が北海道大学へ入学したのは、1986年(昭和61年)、20歳のときのことである。

 自伝的小説『七帝柔道記』(KADOKAWA)にかつて書いたように、きっかけは愛知県立旭丘高校時代に名古屋大学柔道部員に入部勧誘を受けたことだった。

 あれを読んだ方に「どうして名古屋大学ではなくて北海道大学を選んだんですか」とときどき聞かれるが、その理由こそ、北海道大学ヒグマ研究グループ(略称クマ研)の存在にあった。

 このクマ研は1970年代、北海道大学の学生たちによって設立された任意団体だ。簡単にいってしまえばサークルのひとつなのだが、この団体が長い間かけて世界のクマ研究界に果たした功績は計り知れない。農学部、水産学部、理学部などのさまざまな学部を横断し、当時ほとんど知られていなかった野生ヒグマの生態をフィールド調査中心に行っていた日本唯一の団体だった。

 私が2年間の浪人生活の間に参考書より繰り返し読んでいたのが、井上靖が高専柔道にかけた青春を綴った自伝的小説『北の海』(新潮文庫)と、この北大ヒグマ研究グループの共著『エゾヒグマ~その生活をさぐる』(汐文社)である。

 執筆者一覧を見ると当時のクマ研のメンバーが10数人並んでいる。この名前を私は浪人時代に繰り返し見ては、いつかクマ研が2冊目の本を出すときにはここに自分の名前が記されるのだろうかと胸を高鳴らせていた。当時の北大は入学時に理系文系など大まかな区分けで教養部に所属し、そこで1年半過ごしたあと希望の学部学科に進むシステムだった。しかしクマ研のメンバーのうちの少なからずがヒグマに没頭するあまり留年を繰り返して教養部に長期滞在していたのも、ヒグマの魅力を間接的に知る証となった。

 この本の執筆者一覧のうち何人かの名前と当時の所属をここにピックアップしてみよう。・間野 勉(教養部)・園山 慶(教養部)・山中正実(水産学部発生学遺伝学教室)・宇野裕之(農学部応用動物学教室)・松浦真一(水産学部浮遊生物学教室)・坪田敏男(獣医学部家畜臨床繁殖学教室)・綿貫 豊(大学院農学研究科応用動物学教室)

 この人たちはいま何をしているのか。

【次ページ】 書籍で憧れた人は、現在もヒグマ研究に関わっていた

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