“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
自動車部品の検品をしていた遠野大弥はなぜフロンターレに? 「1年は待てません」から始まった福岡生活
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byJ.LEAGUE
posted2020/11/10 17:00
JFL王者・Honda FCから川崎フロンターレに加入した遠野。プロ1年目はレンタル先のアビスパ福岡でJ1昇格を目指し、戦っている
飛び交う専門用語に戸惑うの日々
「レベルの高いところでサッカーがしたい」という純粋な気持ちでHonda FCへやってきた遠野を待っていたのは、想像以上にハードな毎日だった。午前中は工場で働き、午後はサッカー部の練習で技術を磨く。決して生半可な気持ちではこなせなかったと振り返る。
「最初は本当に苦労しましたね。10代でしたが、社会人なので人との関わり方が高校や大学、またプロの世界とも全然違うんです。名刺の渡し方、挨拶の仕方、接し方、身嗜み。先輩から『仕事があってこそ、サッカーがある』とよく言われていたので、両立しようと覚悟を持って取り組んでいました」
遠野はホンダの自動車部品の製造ラインに入り、検品や修正を施すなどの作業に勤しんだ。同じ部署にはサッカー部の先輩はおらず、“会社”の先輩に教えを受けながら、必死にメモを取る毎日。遠野は工業高校ではなく、普通科の高校を卒業しているため、専門用語が飛び交う業務に戸惑うことが多かった。
「素人同然ですから、とにかく職場に迷惑をかけないように、役に立てるようにという意識は持ち続けました。最初はもう横文字ばかりで『この人は何を言っているんだ?』というレベルだった。くじけそうになった時もありましたよ(笑)」
「周りから応援してもらえる選手になれ」
サッカー面においても戸惑いは同じ。前述したようにHonda FCはJFLの常勝軍団。Jリーグへの昇格がないとはいえ、プロ並みと言われるほどレベルは高い。
「Honda FCはどんな試合でも絶対に勝たないといけない。そのプレッシャーは大きくて、緊張感はあったし、それぞれが向上心を持って取り組んでいました。個人昇格を狙う選手は(他のクラブより)多くないと思いますが、それ以上にチーム内競争に打ち勝つ、試合で結果を出すということへのこだわり、気迫が凄まじかった」
ただ、そんな厳しい環境での生活で、サッカー選手としての自覚が芽生えていった。
「僕はサッカーをさせてもらっている立場の人間。ホンダの社員さんたちの協力がないとサッカーができない。『周りから応援してもらえる選手になれ』と先輩にも本当によく言われましたし、それは後輩にも伝えた部分でした」