“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
自動車部品の検品をしていた遠野大弥はなぜフロンターレに? 「1年は待てません」から始まった福岡生活
posted2020/11/10 17:00
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph by
J.LEAGUE
今季は破竹の12連勝など、快進撃が続くアビスパ福岡。5年ぶりのJ1昇格に向けて加速するチームにおいて、今や欠かせない存在となっているのが“Jリーガー1年目”の21歳FW遠野大弥(とおの・だいや)だ。
今季、JFLのHonda FCからJ1川崎フロンターレに完全移籍を果たし、レンタル移籍で福岡へやってきた。JリーグデビューとなるJ2開幕戦ギラヴァンツ北九州との福岡ダービーでスタメンを飾ると、いきなり決勝ゴールをマーク。ここまで不動のレギュラーとしてすでに8ゴールをあげている(11月10日現在)。
「今は凄く怒涛というか、今まで経験したことのない時間を過ごしています。全く予想していない状況です。プロになれるなんて微塵も思っていなかった」
プロになれるなんて微塵も思っていなかった――この言葉は嘘偽りのない彼の思いだろう。
進学決定直前で届いたオファー
4年前、藤枝明誠高校時代は同級生の藤本一輝(現・鹿屋体育大学、大分トリニータ内定)らと共に「静岡最強3トップ」を形成して選手権出場を果たした。しかし、プロからの誘いは一切なかった。
高校卒業後に入団したHonda FCへの加入が決まったのも突然だった。大学でサッカーを続けるつもりだった遠野はすでに進学先を決めていたが、高校最後の選手権予選の真っ只中、大学の願書提出期限の1週間前にHonda FCからオファーが届いた。
「周りと相談をして、やるなら少しでも高いレベルでやったほうがいいなと思ったんです。(藤枝)明誠の同級生にHonda FCのジュニアユースの選手がいて、『あそこに入れるなら凄いことだよ』という話も聞いていた。その頃ちょうど天皇杯のFC東京戦をテレビで観ていて、敗れはしたものの『こんなにレベルが高いの?』と驚きました。その後にオファーが来たので、ここなら絶対にうまくなれると」
Honda FCは、本田技研工業を母体とする社会人サッカークラブだ。サッカー部創設は1971年。Jリーグ発足以降も他のクラブがJ2リーグに参戦する中、アマチュアチームとして新たに創設されたJFL(日本フットボールリーグ)に所属。地域密着型クラブを標榜し、浜松市には「Honda都田サッカー場」という自前のスタジアムも構えている。
現在はプロ契約選手も数名いるが、メンバーのほとんどはホンダの正社員として勤務しながらプレーを続けている。Jリーグ参画を目論むクラブが多い中でも、これまで実に10度のリーグ優勝(Jリーグ発足以降)を上げ、16年から現在までリーグ4連覇中とまさにアマチュアサッカーの絶対的王者だ。