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「モチベーションはゼロで練習もしたくなかった」大友愛のバレーボール人生を変えた2人の恩師の存在
posted2020/11/11 11:00
text by
林田順子Junko Hayashida
photograph by
Shigeki Yamamoto
アテネとロンドン、2度のオリンピックに出場し、ロンドン大会では28年ぶりのメダルとなる銅メダル獲得に貢献した大友愛。
しかしバレーボールを始めた当初は「背が高いからやってみない? と誘われただけで、モチベーションはゼロ。練習もしたくなかった」という。
そんな少女がなぜ日本を代表するバレーボール選手にまで成長したのか。そこには2人の恩師の存在があった。
バレーボールを始めたのは、中学1年生のとき。
とりあえず部活に入っていれば、先生たちから何も言われないし、「お腹痛いから、帰りま~す!」って、練習も全然行かず駅前にダラダラいるようなタイプでしたね。
それが中学2年生の時に、バレーボールが強い中学校から先生が転任してきて、顧問になったんです。
もうそこから、部活の雰囲気はガラッと変わりました。
監督が言ったことに返事をしなさい、背の順に並びなさい、と礼儀や挨拶をイチから教え込まれて。最初は「は? どこに並んだっていいじゃん。なんでバレーボール部だけ返事しなきゃいけないの?」なんて思っていたのですが、そこで初めてアンダーやオーバーパスなどの基本を全部教えてもらったんです。そうしたら、毎日上手になるし、思い通りにバレーボールができるのがすっごく楽しくなって。
“日の丸”の目標はなかった
それまでの自分はスポーツにも勉強にも打ち込んだことがありませんでした。それが、自分の人生で初めて、ひとつのことを頑張って、結果にもつながるという経験をしたんです。
もう、毎日バレーボールをするのが楽しくて楽しくて。あの時、先生がうちの中学に来てくれなかったら、多分私、今でも駅前でダラダラしてると思いますよ(笑)。
ただ楽しくてバレーボールをしていただけなので、全日本でプレーしたいとか、オリンピックに出たいとか、そういう目標はありませんでした。
19歳で全日本に選出された時も、まさか自分が日の丸をつけると思ってなかったし、チームを引っ張っていくなんて意識もなかったので、プレッシャーも何もありませんでしたね。